蕨宿(読み)わらびしゆく

日本歴史地名大系 「蕨宿」の解説

蕨宿
わらびしゆく

[現在地名]蕨市錦町にしきちよう一―六丁目・北町きたまち一―五丁目・中央ちゆうおう一―七丁目・南町みなみちよう一―四丁目

現蕨市域西半を占める。南は上戸田村・下戸田(現戸田市)、北はしば(現川口市)。中山道が南から北西へ通る。

従来ほとんど知られていなかった史料だが、観応三年(一三五二)六月二九日の渋川直頼譲状写(賀上家文書)によれば、嫡子金王丸(渋川義行の幼名)に譲られた所領のうちに「武蔵国蕨郷上下」がみえる。長禄元年(一四五七)六月室町幕府は古河公方足利成氏に対抗するため、渋川義鏡を武蔵国に派遣することとし、義鏡らは翌二年七月頃東国に下った。「鎌倉大草紙」では義鏡の曾祖父義行は武蔵国司時代蕨に城を築き居城としたといい、同所はその後も渋川氏の知行する所であったと記す。蕨宿を開いた人々のうちに元蕨もとわらび(現戸田市)から移住した人々が加わっていたとの伝承があり(風土記稿)、蕨郷は現蕨市を中心に現戸田市東部を含む地域であったとも推定される。鑁阿ばんな(現栃木県足利市)の本堂の柱下から発見されたという文明九年(一四七七)閏正月六日の年紀がある坂東三十三所巡礼納札の銘には「武州足立郡芝丘郷蕨村 助三郎 助二郎 彦二郎」と記される。また天正一一年(一五八三)九月の年紀をもつ和楽備わらび神社神体の僧形八幡神立像には「蕨之郷若宮」の銘がある。戦国期頃の成立と推定される市場之祭文写(武州文書)には「武州足立郡蕨市祭成之」とあり、すでに蕨に市が開設されていたことがうかがえる。

中山道第二の宿である蕨宿の成立については、慶長一一年(一六〇六)・同一七年・同一九年・元和年間(一六一五―二四)などの諸説がある。享保一六年(一七三一)願書(滝沢家文書)では、慶長一七年伊奈氏の家来永田九郎兵衛が奉行として起立し、新宿居住者は蕨町裏などに居住していた百姓六五名を集めたと記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蕨宿の言及

【蕨[市]】より

…現在はJR京浜東北線,国道17号線(中山道)が通じる首都近郊の住宅都市として発展し,人口密度5桁の過密都市となっている。【新井 寿郎】
[蕨宿]
 中山道の大宿。地名の初見は室町時代成立の《市場之祭文》。…

※「蕨宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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