斎藤一(読み)さいとうはじめ

共同通信ニュース用語解説 「斎藤一」の解説

斎藤一

1844~1915年。江戸生まれとされる。1863年に近藤勇こんどう・いさみらが京都で結成した壬生浪士組に入り、新選組となった後は最年少幹部で副長助勤に。沖田総司おきた・そうじと並ぶ剣豪とされた。会津藩主の松平容保まつだいら・かたもりが務めた京都守護職の下、反幕派を襲撃した池田屋事件などのほか、新選組を離れた元隊士の暗殺にも関わったとされる。戊辰ぼしん戦争で鳥羽伏見の戦いを経験し、近藤投降後も会津藩に合流し新政府軍に抵抗。松平家が明治維新後に青森斗南藩として再興すると自らも移り住み、上京後も関係を保った。近年はゲームなどのキャラクターに取り上げられ、若い世代にも知名度と人気が広がる。

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知恵蔵mini 「斎藤一」の解説

斎藤一

新選組の隊士、警察官。1844年1月1日(旧暦)、武蔵国江戸(東京都)の幕臣の家に生まれたとされる。当時の名前は山口一。63年、新選組の前身である壬生浪士組(精忠浪士組)が結成され、斎藤一として入隊。新選組では、沖田総司、永倉新八と並び最強の剣士の一人といわれ、副長助勤・三番隊組長・撃剣師範を務めた。池田屋事件を始め幾多の襲撃に参加し、また新選組隊員の粛清にも多く関わったという。幕末の戊辰戦争では幕府軍(会津)側として戦い、会津藩が降伏した後しばらくして投降、謹慎生活をおくる。67年、山口二郎(次郎)と改名、さらに妻の姓をとり藤田五郎と改名した。74年、明治政府の警視庁に採用される。77年の西南戦争では警部補役職で奮戦し、政府から勲七等青色桐葉章と賞金100円を授与された。91年、退職。その後、東京高等師範学校附属東京教育博物館(現・国立科学博物館)の守衛長・撃剣師範、東京女子高等師範学校の庶務掛兼会計掛を務め、1909年に引退。15年、胃潰瘍により72歳で死去した。NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)でオダギリジョーが演じ、また人気マンガ『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』(集英社)では主人公のライバル役として描かれた。

(2014-7-24)

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