新堂庄(読み)しんどうのしよう

日本歴史地名大系 「新堂庄」の解説

新堂庄
しんどうのしよう

興福寺大乗院領荘園。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の十市郡に「大乗院方 新堂七町三段小」とある。ほかに天文一五年(一五四六)の「若宮祭礼并十二大会以下所出料所、進官米庄々、十市郷諸庄注文」(京都大学蔵一乗院文書)に「新堂多庄進官入地一町一反」とあるので、興福寺進官庄おお(現磯城郡田原本町)の飛地があった(磯城郡の→多庄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む