日本歴史地名大系 「磯城郡」の解説
磯城郡
しきぐん
〔原始・古代〕
隣接する広陵町の
古墳時代の集落跡も前記の弥生時代遺跡と重複して認められる。田原本町矢部遺跡では溝遺構や方形周溝墓、多遺跡では集落の周縁部にある溝、井戸が確認されている。古墳の築造は弥生時代以来の系譜をもつ方形周溝墓を別にすれば川西町大字
磯城の名は「日本書紀」神武天皇即位前紀に「磯城邑」、同天皇二年二月条に「磯城県主」とあり、欽明天皇三年六月条には「磯城郡」の名がみえる。「古事記」綏靖天皇段には「師木県主」、欽明天皇段には「師木嶋大宮」とあり、「延喜式」神名帳には「志貴御県坐神社」と記す。現磯城郡は古くは磯城地方の西北部にあたり、ほぼ「延喜式」に記す
現磯城郡の古代条里は城下一〇条以南、十市郡一九条以北の地域を占め、遺称は顕著に残存する。「和名抄」城下郡には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報