磯城郡(読み)しきぐん

日本歴史地名大系 「磯城郡」の解説

磯城郡
しきぐん

面積:三一・〇六平方キロ
田原本たわらもと町・三宅みやけ町・川西かわにし

奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、中央の寺川、西の飛鳥川、西境曾我川が曲折しつつ北流し、北端で大和川に注ぐ。東は天理市・桜井市、西は北葛城郡河合町・広陵町、南は橿原かしはら市、北は大和郡山市・生駒郡安堵あんど村。

〔原始・古代〕

隣接する広陵町の箸尾はしお遺跡など標高六〇メートル以下の低湿地帯で縄文時代晩期の土器類が発見されており、近年当郡田原本町大字佐味さみで縄文時代晩期の土器類が出土した。弥生時代には田原本町唐古からこ遺跡で大規模な集落が営まれた。唐古遺跡の西南二キロにある保津ほつ遺跡は前期から後期にわたる集落、川西町の面塚めんづか遺跡は中―後期の同条件の遺跡である。曾我川や飛鳥川流域の田原本町大字十六面じゆうろくせん薬王寺やくおうじ・佐味・矢部やべおおなどにある各遺跡の発掘調査も進められ、集落遺構の一端方形周溝墓などが確認されている。

古墳時代の集落跡も前記の弥生時代遺跡と重複して認められる。田原本町矢部遺跡では溝遺構や方形周溝墓、多遺跡では集落の周縁部にある溝、井戸が確認されている。古墳の築造は弥生時代以来の系譜をもつ方形周溝墓を別にすれば川西町大字唐院とういんしまやま古墳が最古とみられる。同古墳の南には三宅町大字屏風びようぶてらまえ古墳や大字伴堂ともんどう高山たかやま古墳・瓢箪山ひようたんやま古墳・アンあんやま古墳などの周濠をもつ前方後円墳の存在が知られ、その南端が田原本町の黒田大塚くろだおおつか古墳である。後期古墳には田原本町矢部の団栗山どんぐりやま古墳がある。農耕と関連した祭祀遺跡と考えられるものに三宅町の石見いわみ遺跡や伴堂遺跡がある。

磯城の名は「日本書紀」神武天皇即位前紀に「磯城邑」、同天皇二年二月条に「磯城県主」とあり、欽明天皇三年六月条には「磯城郡」の名がみえる。「古事記」綏靖天皇段には「師木県主」、欽明天皇段には「師木嶋大宮」とあり、「延喜式」神名帳には「志貴御県坐神社」と記す。現磯城郡は古くは磯城地方の西北部にあたり、ほぼ「延喜式」に記す城下しきのしも郡と十市郡の北部である。

現磯城郡の古代条里は城下一〇条以南、十市郡一九条以北の地域を占め、遺称は顕著に残存する。「和名抄城下郡には賀美かみ大和おおやまと・三宅・鏡作かがみつくり・黒田・室原むろはら、十市郡内には飫富おふ川辺かわのべ池上いけがみ神戸かんべの郷名を列挙する。「延喜式」神名帳によると現磯城郡には大五座、小一五座が比定されている。田原本町の秦楽寺じんらくじなどは古代官人の秦河勝の居住にちなむといわれ、今に秦庄はたのしようの地名が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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