新宮渡
しんぐうわたし
[現在地名]新宮村新宮 宮川西
土佐道が銅山川と交わる地点の渡し。明治初年の「伊予国宇摩郡地誌」に「山字宮林金砂川ノ中流ニアリ水幅十間程深二間渡船一艘私渡ニ係ル」とある。
元文三年(一七三八)の伊予国宇摩郡御普請明細帳の新宮村の項に「山城川筋舟戸渡之舟 一、川舟 長四間三尺巾五尺六寸 壱艘」とあり、古くは筏渡であったものが、貞享元年(一六八四)代官服部六左衛門の時初めて舟渡となり、元禄八年(一六九五)以後は百姓自力修復となったとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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