宇摩郡(読み)うまぐん

日本歴史地名大系 「宇摩郡」の解説

宇摩郡
うまぐん

面積:二三七・四二平方キロ
新宮しんぐう村・土居どい町・別子山べつしやま

県の東部に位置する。古代以来の宇摩郡の郡域は現伊予三島市川之江市新宮村土居町・別子山村であったが、昭和二九年(一九五四)に二市が分離、現在の郡域は一町二村となっている。伊予三島市が中央にあって、その東側に新宮村、西側に土居町と別子山村と二地域に分れる。法皇ほうおう山脈が東西に走り、新宮村はその山脈南側(嶺南)の郡東端に、別子山村は郡西端に位置し、両村とも石鎚いしづち山脈谷間の山村。別子山村の西部に発源した銅山どうざん川が東流し、伊予三島市・新宮村を経て徳島県に流入する。両村とも南は石鎚山脈を隔てて高知県に接し、北は法皇山脈を隔てて新宮村は川之江市と、別子山村は土居町と接する。土居町は嶺北の郡西部に位置し、東は伊予三島市、西は新居浜にいはま市に接し、北はひうち灘に面する。せき川が町内を南北に貫流、国道一一号・国鉄予讃本線が東西に走る。

郡域は市部の独立により激減したが、郡名は現在も「和名抄」以来の宇摩郡を継承している。また宇麻郡とも異記された。以下主として現在の宇摩郡域について述べる。

〔原始〕

旧宇摩郡のうち、考古学上の遺跡は、川之江市の金生きんせい川流域と土居町に顕著にみられる。

土居町藤原の山道東ふじわらのやまみちひがしには、宇摩郡最古のものとして藤原縄文遺跡があり、縄文後期の中津式に近いと思われる土器や凹石など四〇個が出土している。また弥生時代の遺跡として同町天満の三月田てんまのさんがつたに住居跡、西森にしもり津根立石つねたていし遺跡(銅矛出土地)天満大地山おおじやま遺跡(石剣出土地)などがある。古墳時代のものとしては同町野田の高原のだのたかはら大空おおぞら古墳群の横穴式古墳九〇基が鉄鍬須恵器を伴って発見されている。さらに平安時代以後のものとされる津根の宝塚たからづか(経塚とされる)も知られ、土居町が東予地方では最も古く開け、古代にかけて地方の中心として発達していたことが推察できる。

新宮村には弥生後期の土師器片や、上山の鳩岡鉾尾神社かみやまのはとおかほこのおじんじや遺跡(銅矛奉斎地)があり人跡をとどめているが、別子山村にはみるべき遺跡はない。

〔古代〕

古代にも郡内では土居町の記録が最も多く残り、地方の中心として栄えていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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