日本歴史地名大系 「新庄野村」の解説 新庄野村しんじようのむら 富山県:富山市旧上新川郡地区新庄野村[現在地名]富山市開(ひらき)常願寺川西方、赤江(あかえ)川右岸の平地にあり、対岸は経堂(きようどう)村。新庄野一八万歩は広田(ひろた)・針原(はりわら)両用水維持のための芝打場として残されていた。享保元年(一七一六)射水(いみず)郡放生津(ほうじようづ)町(現新湊市)又六郎らが開発計画を立てたが失敗、同四年上飯野(かみいいの)村太左衛門が開発を継承。同九年の新開高と同一五年の検地極高は計三〇四石、約七万三千歩で、同一六年から三年間図免五歩の新開地となり、当時の作人数は一二人(以上、同一八年「新川郡村廻帳」川合家文書、「富山市史」)。残り約一〇万歩は十村への預地となり、芝打場を設けた(富山市史)。この新開地は前掲村廻帳では町新庄(まちしんじよう)村領内の新開として記されるが、天保一一年(一八四〇)の高免帳(杉木家文書)には記されておらず、当時組高帳入の新田高ではなく、村立てもなされていない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by