日本歴史地名大系 「新湊町七丁目」の解説 新湊町七丁目しんみなとちようななちようめ 東京都:中央区旧京橋区地区新湊町七丁目[現在地名]中央区明石町(あかしちよう)新湊町六丁目の南にある。東は鉄砲洲(てつぽうず)川、南は築地堀、西は新栄(しんえい)町七丁目。南の端から明石町に鉄砲洲川を渡る新湊橋が架けられていた。明治元年(一八六八)起立。起立時には新湊町八丁目・同九丁目で、築地外国人居留地に組入れられ、同五年までに合併して新湊町七丁目となった(明治五年「東京区分町鑑」など)。江戸時代には交代寄合榊原氏屋敷と豊前中津藩奥平氏中屋敷(沿革図書など)。中津藩屋敷内には明和期(一七六四―七二)同藩医前野良沢の役宅があり、同八年以降同役宅で良沢・杉田玄白・中川淳庵らにより「ターヘル・アナトミア」の翻訳が行われ、安永三年(一七七四)「解体新書」として出版された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by