日下部郷
くさかべごう
「和名抄」高山寺本に「早部」、東急本に「
部」、刊本に「日下部」と記され、ともに訓を欠く。平城宮出土木簡に天平宝字四年(七六〇)正月二〇日として「日部郷」とみえる。「新編常陸国誌」は「日下郷」とし、「本郡日下部其名亡ストイヘドモ、今ノ茨城郡上泉村ニ草掛明神アリ、コノ地ハ古ノ那珂郡ニテ」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現水戸市飯富町・岩根町、東茨城郡常北町上泉・那珂西の一帯とされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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