日下郷
くさかごう
「和名抄」にはみえない。しかし永保元年(一〇八一)の河内国石凝寺々地等免判抄(教王護国寺文書)に大戸郷とともに早郷(日下郷のこと)がみえることと大戸郷の境域の推定とから、日下郷は古くから存在し、「和名抄」はこれを脱落したのではないかと思われる(→大戸郷)。そう考えてよければ、その境域は河内郡の北端にあたり、近世の善根寺・日下・布市の諸村の地域(現東大阪市)にわたるであろう。
日下郷
くさかごう
「和名抄」諸本とも訓を欠く。伯耆国河村郡にも日下郷があり、「和名抄」東急本は「苦左加部」の訓を付している。しかし当郷の遺称地とされる現米子市日下は中世―近世初期まで久坂と記されていた。古代の御名代部日下部氏にかかわる郷名と考えられる。日下瑞仙寺には元応元年(一三一九)一二月一九日の日付と「草可部之延継鋳之」の銘などのある鐘が伝えられていた(伯耆志)。
日下郷
くさかべごう
「和名抄」刊本は「苦左加部」と訓を付す。郷名は仁徳天皇の皇子大日下王の御名代部であった日下部に由来するといわれる。天神川下流東岸一帯、現倉吉市の旧日下村・西郷村地区に比定される。
日下郷
くさかべごう
「和名抄」諸本に訓はない。現岡山市域に含まれる近世の草ヶ部・東平島・西平島各村を中心とした地域に比定される(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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