日本大百科全書(ニッポニカ) 「晋祠銘」の意味・わかりやすい解説
晋祠銘
しんしのめい
晋祠とは春秋時代晋国の祖唐叔虞(とうしゅくぐ)を祀(まつ)った祠(ほこら)で、中国山西(さんせい/シャンシー)省太原(たいげん/タイユワン)の南西約25キロメートル、晋源の懸甕(けんおう)山山麓(さんろく)にある。すでに6世紀初頭の『水経注(すいけいちゅう)』にその記述がみえ、その後、各時代に種々の道教神が加祀(かし)されて、今日まで修改築を経て多くの廟(びょう)がある。646年(貞観20)1月、高句麗(こうくり)征伐の帰途、ここに立ち寄った唐の太宗は、父高祖が晋祠に武運を祈ったことにちなみ、大唐創業の当地に感謝しつつ、自ら撰文揮毫(せんぶんきごう)して碑を建てた。これを「晋祠銘」という。碑額は飛白(ひはく)体で3行、本文は行草書で28行。書聖王羲之(おうぎし)に心酔し、行書の名手として知られた太宗の雄渾(ゆうこん)な筆勢は、まさに王者の風格を示している。なおこの碑銘は世に行書碑の始まりと喧伝(けんでん)されている。
[角井 博]