晋祠(読み)しんし(その他表記)Jìn cí

改訂新版 世界大百科事典 「晋祠」の意味・わかりやすい解説

晋祠 (しんし)
Jìn cí

中国,山西省太原市南西25kmの懸甕山麓にある道教寺院。春秋時代の晋国の唐叔虞をまつる祠として建てられた。創建年代は不詳だが,北魏時代にはすでに存在した。北斉の569年(天統5)に大崇皇寺と改称,唐の貞観年間(627-649)に晋祠の名となった。現在は聖母殿,献殿などの建築群,難老泉という泉,カシワやエンジュの老樹がある名勝として一般開放されている。正殿の聖母殿は,北宋の天聖年間(1023-31)の創建,1102年(崇寧1)の再建。二重入母屋造,間口7間の木造建築で,広くとった前廊および周囲を吹放しとし,内部を柱を少なくした異例の構造が特色で,列柱には蟠竜の彫刻が付されている。殿内には聖母像のほか,侍女らの塑像42軀が安置され,これらは宋代彫塑の代表的作品として名高い。前面の献殿は金の1168年(大定8)建設の小殿で,聖母殿とのあいだにある魚沼という池には十字形に交叉する飛梁という石橋が架かる。境内には唐の太宗の石碑(〈晋祠銘〉)もある。
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世界の観光地名がわかる事典 「晋祠」の解説

しんし【晋祠】

中国の山西省華北地区の太原(たいげん)(タイユワン)市にある祠廟(しびょう)で、太原屈指の名勝地。紀元前11世紀の北魏の時代に、周の武王の子で晋国の始祖である唐叔虞(とうしゅくぐ)を祀って建てられた。「太原に至って晋祠に行かないのは、北京に行って古宮を行かないのと同じ」といわれるように、中国でも珍しい大規模な祠堂式の古典庭園で、きわめて優美な庭園の景色は、山西の「小江南」と称えられる。特に聖母の殿、侍女像、難老泉は「晋祠三絶」といわれ、歴史的価値や芸術的価値が高く、中国の重要文化保護財になっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「晋祠」の意味・わかりやすい解説

晋祠
しんし
Jin-ci

中国,宋代の道教寺院。山西省太原の西南,懸甕山にあり,春秋時代に建てられたとされる。周の成王の弟である叔虞を祀るために晋祠と呼ばれた。聖母殿と殿前の石橋「魚沼飛梁」は北宋の遺構で,献殿は金代の建築である以外すべて明清以後の建物である。聖母殿は天聖年間 (1023~31) に創建され,崇寧1 (1102) 年に改築された。間口7間奥行6間で,入母屋造になっている。前2間が拝殿となるため,繋虹梁によって中央の4本の側柱が省略されている。こうした構造は中国建築のなかではきわめて特殊である。

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世界大百科事典(旧版)内の晋祠の言及

【太原】より

…なお博物館第二部は純陽宮に展示されている。市の南西25kmの瓮山(おうざん)山麓の晋祠は北魏の建築で,周の武王の子叔虞をまつるが,晋水の源流がここに湧き出,唐太宗の筆になる石碑,宋代建築の粋といわれる聖母殿と神像群,同じく北宋の金人台などの文化財がある。そのほか市の近郊には明代の双塔寺,東魏より唐にかけて開削された天竜山石窟,北斉の6世紀半ばに建築された開化寺連理塔,13世紀元初の竜山石窟(道教遺跡),そのほか奉聖禅寺,崇善寺,清真古寺,など多くの由緒ある文化財が残されている。…

※「晋祠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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