晩田村(読み)ばんだむら

日本歴史地名大系 「晩田村」の解説

晩田村
ばんだむら

[現在地名]東伯町三保みほ

中原なかはら村の西に位置する。番田とも記した(「伯耆民談記」など)。拝領高は二三四石余、本免は五ツ一分。藪役銀八匁六分が課されており(藩史)、石河氏の給地であった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高二五八石余、竈数四四。文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)では家数四〇・人数一九一、元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数四四で、うち余業一四(牛博労三、桶屋・水車・新田師各二など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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