月吉村(読み)つきよしむら

日本歴史地名大系 「月吉村」の解説

月吉村
つきよしむら

[現在地名]瑞浪市明世町月吉あきよちようつきよし

山野内やまのうち村の北、北部丘陵地から南へ流下する日吉ひよし川沿いに狭く開ける。建武三年(一三三六)一一月一日の足利尊氏御教書写(金沢市立図書館蔵松雲公採集遺編類纂)小田おだ保の内として「月吉」がみえる。「和歌初学抄」「和歌色葉」「八雲御抄」には「月吉の里」が歌枕としてあげられ、「夫木抄」には清原元輔の歌「闇ならばねぬべきものを頼めぬも人ぞ待たるる月吉の里」がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む