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清原元輔 きよはらのもとすけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清原元輔
きよはらのもとすけ

[生]延喜8(908)
[没]永祚2(990)
平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。深養父 (ふかやぶ) の孫。顕忠の子。清少納言の父。河内権少掾,周防守などを経て,従五位上肥後守にいたる。天暦5 (951) 年「梨壺の五人」に選ばれ,『後撰和歌集』の撰集と『万葉集』の訓釈に従事し,『天徳四年内裏歌合』 (960) などに出詠,屏風歌詠進も多く,歌人として活躍した。家集『元輔集』。勅撰集入撰歌は『拾遺集』以下約 105首。その洒脱な人柄が清少納言に遺伝したといわれる。

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百科事典マイペディアの解説

清原元輔【きよはらのもとすけ】

平安中期の歌人。祖父深養父(ふかやぶ)とともに三十六歌仙の一人。清少納言の父。梨壺(なしつぼ)の五人の一人として源順らとともに《万葉集》にはじめて訓点をつけ,また《後撰和歌集》の撰集の事業にあたった。
→関連項目後撰和歌集

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原元輔 きよはらの-もとすけ

908-990 平安時代中期の官吏,歌人。
延喜(えんぎ)8年生まれ。清原深養父(ふかやぶ)の孫。清少納言の父。肥後守。三十六歌仙のひとり。天暦(てんりゃく)5年撰和歌所寄人となり,梨壺(なしつぼ)の五人のひとりとして,「万葉集」訓釈や「後撰和歌集」の撰にあたる。「拾遺和歌集」以下の勅撰集に107首はいる。永祚(えいそ)2年6月死去。83歳。家集に「元輔集」。
【格言など】契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

清原元輔

没年:正暦1.6(990)
生年:延喜8(908)
平安時代の歌人。深養父の孫。父は清原春光。清少納言の父。官歴は河内少掾,少監 といった下位で,79歳で肥後守となる。低い身分であったが,歌人としてはいわゆる梨壺の五人として,『後撰集』を選し,『万葉集』などの読解を行った。『今昔物語集』には「人咲ハスルヲ役トスル翁」とあり,その性格は歌風にもあらわれ,暗さを感じさせない,当意即妙で練達した流暢な詠みぶりである。そうしたところが好まれたのか藤原実頼,藤原頼忠,藤原師輔,源高明などの貴顕の邸宅に出入りしている。詠歌は個人的なものよりも,屏風歌合といった召し歌(貴顕の注文に応じて創作する和歌)が多い。

(松田豊子)

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防府市歴史用語集の解説

清原元輔

 平安時代中頃の歌人で、清少納言[せいしょうなごん]の父にあたります。清少納言同様に三十六歌仙[さんじゅうろっかせん]の1人です。また、国司[こくし]として周防国に訪れています。

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世界大百科事典 第2版の解説

きよはらのもとすけ【清原元輔】

908‐990(延喜8‐正暦1)
平安中期の歌人。深養父(ふかやぶ)の孫(一説に子),春光の子,清少納言の父。従五位上肥後守となる。951年(天暦5)に昭陽舎(梨壺)に設けられた撰和歌所の寄人(よりうど)となり,村上天皇の命を受けて,源順,大中臣能宣坂上望城紀時文と《万葉集》に初めて訓点をつけ,《後撰和歌集》を編纂する仕事に従事する。梨壺の五人,三十六歌仙の一人。《天徳四年内裏歌合》《一条大納言為光家歌合》《三条左大臣頼忠家前栽合》に出詠。

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大辞林 第三版の解説

きよはらのもとすけ【清原元輔】

908~990) 平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。深養父の孫。清少納言の父。肥後守。梨壺の五人の一人として万葉集の訓釈(古点)ならびに後撰和歌集の撰に参加。家集に「元輔集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清原元輔
きよはらのもとすけ
(908―990)

平安中期の歌人。深養父(ふかやぶ)の孫、春光の息で、清少納言(せいしょうなごん)の父。従(じゅ)五位上、肥後守(ひごのかみ)に至る。951年(天暦5)撰(せん)和歌所寄人(よりうど)となり、梨壺(なしつぼ)の五人の一人として『万葉集』の読解を行い、『後撰(ごせん)和歌集』を撰した。歌合(うたあわせ)歌、屏風(びょうぶ)歌などを多く召され、当代の代表的歌人として活躍した。「馴(なれ)者ノ物可咲(をかし)ク云(い)ヒテ人咲(わら)ハスルヲ役ト為(す)ル翁(おきな)」(『今昔物語集』)とされて、快活明朗、歌も機知に富み流暢(りゅうちょう)で、「予(われ)ハ口ニ任セテ之(これ)ヲ詠ミ、読(よまむ)ト思フ時ハ深ク沈思ス」(『袋草紙(ふくろぞうし)』)といったという即吟型。三十六歌仙の一人で『元輔集』があり、『拾遺集』以下の勅撰集に105首入集(にっしゅう)する。
 契りきなかたみに袖(そで)をしぼりつつ末の松山波越さじとは[杉谷寿郎]

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世界大百科事典内の清原元輔の言及

【梨壺の五人】より

…951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一の学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。…

※「清原元輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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