有木城跡(読み)ありきじようあと

日本歴史地名大系 「有木城跡」の解説

有木城跡
ありきじようあと

[現在地名]市原市海士有木

蟻木城とも。八幡宮付近を主郭とし、西側に一部堀跡が残る。北東の堀の内ほりのうちをII郭とする。北門・要害下などの屋号を伝える。鎌倉時代末とされる足利氏所領奉行注文(倉持文書)市東しとう郡・市西しさい郡を管轄する家臣として有木中務六郎がみえ、当地を名字の地とする者であろう。天正三年(一五七五)当時有木城主として椎津実綱が在城しており、九月三日里見氏の軍勢により攻められ、実綱は討死している(管窺武鑑)。同五年二月二六日の里見義弘書状(吉川文書)に有木とみえ、同三、四年に総州に入ってきた北条氏が当地をも制圧し、椎津中務少輔と相模国の兵力を配して守らせていたことが知られ、これに対する里見氏は上杉謙信に来援を求めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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