朝日日本歴史人物事典 「里見義尭」の解説
里見義尭
生年:永正4(1507)
戦国時代の武将。実尭の子。天文2(1533)年7月に父実尭を誅殺した里見家宗主義豊を,翌3年4月に滅ぼして自ら宗主の地位につく。その後急速に政治的自立を果たし,同7年に小弓公方足利義明が国府台の戦で敗死したのちは,北条氏のたび重なる侵攻に苦しみながらも,里見氏を房総最大の勢力に発展させた。上総国中央部の久留里に居城を置き,息義弘を内房地域の要衝の地,佐貫に置いて両頭支配体制を確立し,また,越後上杉・常陸太田氏らと結んで北条氏を牽制するなど,卓抜した外交手腕も発揮した。しかしその存在の大きさ故,彼の死後内外で問題が噴出し,里見領国における天正の内乱が勃発した。
(滝川恒昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報