朔日町(読み)ついたちまち

日本歴史地名大系 「朔日町」の解説

朔日町
ついたちまち

[現在地名]八戸市朔日町

八戸城下のほぼ中央、裏町通沿いに位置する町人町。東は十一日じゆういちにち町、西は六日むいか町、北は八日ようか町、南は長横ながよこ町・岩泉いわいずみ町・類家るいけ村に接する。西端は大手筋に面し、北部を南西から北東街路が通る。文久年間(一八六一―六四)八戸御城下略図に朔日町とあり、町家とされる。東端南にはてら小路がみえる。雑書の寛文三年(一六六三)一二月小二日条に「八戸八日町新町しま去廿八日七つ時火事出来、屋敷数九軒、家数十五軒焼亡之由」とあり、盛岡藩時代には八日町新町とみえる。御勘定所日記の元禄六年(一六九三)三月二五日条にも八日町新町とあり、一一日市の市立てが許可されている。

宝暦二年(一七五二)当町より出火し、類焼四六軒、竈数七三、死人二人、焼死馬一疋の被害が出ている(「八戸藩日記」同年二月二九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報