朝日日本歴史人物事典 「本庄普一」の解説
本庄普一
生年:生年不詳
江戸後期の眼科医。武蔵国本庄(本庄市)の人。はじめ翠蘭先生に就いて眼科を修めたと伝えるが詳細不明。文政8~9(1825~26)年ごろ長崎に留学して西洋眼科を修めたが,シーボルトの門人ではなかった。長崎を去って京都,さらに武蔵国川越に移って開業し,漢蘭折衷眼科の大家として知られた。天保2(1831)年『眼科錦嚢』3巻,天保8年『続眼科錦嚢』2巻を刊行し,当時最も進歩的な眼科学書として名声を博した。この書で,シーボルト伝授の散瞳薬を詳述し,その誤用によって失明(急性緑内障の発作)することを警告した。<参考文献>福島義一「日本眼科史」(『日本眼科全書』1巻)
(福島義一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報