川越
かわごし
江戸時代、交通の要衝にある大河川に架橋、渡船の設備をせず、徒越(かちごし)(歩渡(かちわたり))、輦台(れんだい)(蓮台)、馬越(うまごし)などで渡河させた制度、またその業務に従事する人足。この川越は、江戸幕府が一朝事あるときに対する高度の政治的配慮による制度といわれ、東海道では酒匂(さかわ)、興津(おきつ)、安倍(あべ)、大井の4川、中山道(なかせんどう)では千曲(ちくま)、碓氷(うすい)の2川で行われたが、とくに大井川が典型的で、「関所川」ともよばれた。大井川の場合、その越立(こしたて)場所は東海道島田(しまだ)、金谷(かなや)両宿の間に位置し、川越事務を取り扱う川会所が設けられて、川庄屋(しょうや)を筆頭に年行事(としぎょうじ)、小頭(こがしら)、それに川越仲間の口取、待川越などがいた。越立は明け六ツ(午前6時ごろ)から暮れ六ツ(午後6時ごろ)までを原則とするが、急用の旅行者でとくに宿駅の問屋場か川会所の許可を得た者に限り、夜間通行ができた。越立には、川越人足による輦台、肩車、馬越があり、旅行者の自力による渡河(自分越)は認められないが、相撲取(すもうとり)、巡礼、非人などは例外とされた。大名は、宿駅の本陣に専用の輦台を備えていて、越立のときは乗り物(貴人用の駕籠(かご))のまま輦台に乗り、人足20~30人で担ぎ、水切川越を先行させて渡河した。一般の旅行者は、まず川会所で川札(油札、台札からなる)を買って渡るが、油札は川越人足1人の賃銭で、台札はその2倍の額、輦台の使用料にあたる。大井川では、水深4尺5寸(約1.4メートル)まで旅行者の越立を行い、これ以上を川留(かわどめ)として禁じたが、幕府の御状箱に限り水深5尺(約1.52メートル)までとした。川明(かわあけ)のときは御状箱を優先し、ついで大名、一般旅行者の越立を行った。これが廃止されたのは明治維新後のことである。
[丸山雍成]
『浅井治平著『大井川とその周辺』(1967・いずみ出版)』
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かわ‐ごし かは‥【川越】
〘名〙
① 川を隔てていること。また、その所。対岸。
※貫之集(945頃)一「人の、木の下にやすみて、かはごしにさくらを見たる所」
② 徒歩で川を渡り越すこと。かちわたり。
※雑兵物語(1683頃)上「今日は川越が有べいに、
胴乱を首に付べい」
③ 大きい川で、人を肩または輦台(れんだい)、馬などに乗せて渡すこと。また、それを業としている者。川越し人足。
※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)三「ぬれねづみの如くになりて、やうやうむかひの岸にあがるもあり。嶋田の者は、川ごしに出る」
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川越
かわごえ
江戸時代,治安上の目的で架橋,渡船を禁じた大井川その他の大川で,勝手に渡ることを禁じ,徒 (かち) 渡り,または馬越しだけを認めた制度。またその川越し人足のこと。越立 (こしたて) は川会所の管理するところで,徒渡りには輦台 (れんだい) ,肩車 (手引) があった。一定水位を常水といい,これを一定限度越えると川留 (かわどめ) ,または川支 (かわづかえ) といって越立を禁じ,その解除を留明け,または川明けといった。賃銭を川越し銭といった。明治以降は廃止。
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かわごえ【川越】
宮崎の芋焼酎。有機栽培の原料芋は、朝掘ったものをその日のうちに処理。釈迦ヶ岳の伏流水と白麹を用いて甕で仕込む。蒸留法は常圧蒸留。米焼酎をブレンドして酒質を調える。原料はコガネセンガン、米麹。アルコール度数25%。蔵元の「川越酒造場」は江戸期創業。所在地は東諸県郡国富町大字本庄。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
かわごえ〔かはごえ〕【川越】
埼玉県中南部の市。もと酒井氏らの城下町で、松平信綱のときに整備されて発達。土蔵造りの町並みが残り、史跡や文化財が多い。さつまいもなど野菜栽培が盛ん。住宅地。古代は河肥、中世は河越とも書き、近世から川越となった。人口34.3万(2010)。
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川越【かわごし】
江戸時代の交通制度。軍事的要地の河川には橋や渡船を設けず人足の肩車,馬,輦台(れんだい)で渡らせた。東海道の大井川の川越(島田〜金谷間)は有名。→川止/関所
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かわごし【川越】
江戸時代,要衝の地にある大河に架橋や渡船の設備をせず,人足を配置しその人足によって徒渉させ,あるいは馬で渡河させる制度。川越人足をさすこともある。旅行者は自分かってに河川を渡ることを禁じられ,道中奉行所により定められた越立場から一定の賃銭を支払って渡らなければならなかった。ただし公用旅行者で将軍の朱印状,老中の証文などを持参する者は無賃で,一般旅行者は水の深浅によって御定賃銭(公定賃銭)を払い渡河した。
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