日本大百科全書(ニッポニカ) 「本心鏡智流」の意味・わかりやすい解説
本心鏡智流
ほんしんきょうちりゅう
近世槍術(そうじゅつ)の一流派で、とくに鍵槍(かぎやり)に優れた。流祖梅田杢之丞治忠(もくのじょうはるただ)(1626―94)は江州(ごうしゅう)甲賀の生まれで、少年のころより家名再興を志して槍術に励み、樫原(かしわら)流木川市郎左衛門正信(まさのぶ)の門に学んでその妙を得、さらにくふうを重ねて一流を始め、江戸へ出て道場を開き、本心鏡智流を称した。ここで使用した鍵槍は、総長二間(約3.6メートル)の直槍(すやり)の太刀(たち)打ちに鉤(かぎ)形の鉄具を固着させたが、その鉄具の表面に雁木(がんぎ)やすり目を刻み付け、相手の槍を挟みやすくしていた。寛文(かんぶん)年中(1661~73)幕府にその実力を認められ、甲賀組与力に採用されて名声を高め、その門に集まる者千余人を数えた。その後、その門流は高遠(たかとお)、仙台、小浜(おばま)、水戸、松江、島原など全国の諸藩に広がった。
[渡邉一郎]