コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

高遠 たかとお

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高遠
たかとお

長野県南東部,伊那市北東部の旧町域。赤石山脈の北西斜面に位置する。 1889年町制。 1956年長藤村,三義村と合体。 1958年藤沢村,1964年河南村を編入。 2006年伊那市,長谷村と合体して伊那市となった。中心集落の高遠は天竜川の支流三峰川と藤沢川の合流点の段丘上に位置する谷口集落。江戸時代には内藤氏3万 3000石の城下町,また杖突街道の宿場町で,伊那盆地北部の政治,経済の中心をなした。 1912年の伊那電鉄の開通後は町勢は停滞した。高遠城跡 (国指定史跡) は公園となりサクラの名所。蓮華寺には芝居役者,生島新五郎と密通したという罪でこの地に流された奥女中絵島の墓がある (→絵島事件 ) 。仙丈ヶ岳への登山口でもある。北部の杖突峠はハイキングの好適地。三峰川や支流の谷で米作が行なわれるほか,観光と林業を主とする。一部は三峰川水系県立自然公園に属する。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

こう‐えん〔カウヱン〕【高遠】

[名・形動]
高く遠いこと。また、そのさま。
「総ての眺望が―、壮大で」〈独歩・鹿狩〉
考えなどが広く深く、計り知ることのできないこと。また、そのさま。「高遠理想をかかげる」

たかとお〔たかとほ〕【高遠】

長野県伊那市の地名。もと内藤氏らの城下町。大奥女中絵島が流された地。高遠頼継の築いた高遠城の跡がある。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

大辞林 第三版の解説

こうえん【高遠】

( 名 ・形動 ) [文] ナリ 
志や思想などがけだかく、他に抜きん出ている・こと(さま)。 「 -な理想」 「 -な書物/一隅より 晶子
高くてはるかな・こと(さま)。 「この-の景に対しては口言ふ能はず/不二の高根 麗水
[派生] -さ ( 名 )

たかとお【高遠】

長野県南部、伊那市の地名。もと内藤氏の城下町。江島配流の地。中世に高遠氏が築いた高遠城址がある。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高遠
たかとお

長野県中南部、上伊那(かみいな)郡にあった旧町名(高遠町(まち))。現在は伊那市の中央北部を占める。旧高遠町は1889年(明治22)町制施行。1956年(昭和31)長藤(おさふじ)、三義(みよし)の2村を合併、1958年藤沢村、1964年河南(かなみ)村を編入。2006年(平成18)伊那市に合併。旧高遠町域は天竜川の支流三峰(みぶ)川とその支流藤沢川の河谷にまたがり、大部分は山地で、耕地や集落も谷底に立地するものが多い。伊那谷と諏訪(すわ)盆地を結ぶ杖突(つえつき)街道(国道252号)が走り、JRバスが運行する。中心地域には小規模な商店街が形成される。三峰川との合流点に近い藤沢川左岸の断崖(だんがい)上にある高遠城跡(国指定史跡)は、武田信玄(しんげん)の前進基地として築城、江戸時代には高遠藩の居城があった。コヒガンザクラの名所として知られる。城下町は城跡から数十メートル下の段丘上に形成された。付近には近世東日本の各地で活躍した高遠石工たちの手になる石仏を集めた建福(けんぷく)寺、江戸中期この地に配流された大奥女中絵島(えじま)の墓所や、絵島が生涯を閉じた囲(かこい)屋敷(復原)がある。[小林寛義]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の高遠の言及

【三遠】より

…中国山水画の構図理論。高遠・深遠・平遠をいい,視点の位置によって異なる三つの構図形式を,北宋中期の郭熙が《林泉高致》の中で理論的にまとめたもの。高遠は山の下から頂を仰ぎ見る形式,深遠は山の前から後をのぞきうかがう形式,平遠は近山から遠山を望み見る形式をいう。…

※「高遠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

高遠の関連キーワード長野県伊那市高遠町東高遠長野県伊那市高遠町西高遠吞舟の魚は枝流に游がず呑舟の魚は枝流に游がず信州高遠美術館高遠城址公園長野県伊那市浄光院(1)内藤唐辛子鹿塩片麻岩高遠[町]内藤 頼直星野葛山三瓶信庵保科正光保科正直内藤新宿保科正俊坂本天山兜山城跡

今日のキーワード

存亡の機

引き続き存在するかここで滅びてしまうかという非常に重大な時。存亡の秋(とき)。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

高遠の関連情報