長野県中南部、上伊那郡(かみいなぐん)にあった旧町名(高遠町(まち))。現在は伊那市の中央北部を占める。旧高遠町は1889年(明治22)町制施行。1956年(昭和31)長藤(おさふじ)、三義(みよし)の2村を合併、1958年藤沢村、1964年河南(かなみ)村を編入。2006年(平成18)伊那市に合併。旧高遠町域は天竜川の支流三峰川(みぶがわ)とその支流藤沢川の河谷にまたがり、大部分は山地で、耕地や集落も谷底に立地するものが多い。伊那谷と諏訪(すわ)盆地を結ぶ杖突(つえつき)街道(国道252号)が走り、JRバスが運行する。中心地域には小規模な商店街が形成される。三峰川との合流点に近い藤沢川左岸の断崖(だんがい)上にある高遠城跡(国指定史跡)は、武田信玄(しんげん)の前進基地として築城、江戸時代には高遠藩の居城があった。コヒガンザクラの名所として知られる。城下町は城跡から数十メートル下の段丘上に形成された。付近には近世東日本の各地で活躍した高遠石工たちの手になる石仏を集めた建福寺(けんぷくじ)、江戸中期この地に配流された大奥女中絵島(えじま)の墓所や、絵島が生涯を閉じた囲(かこい)屋敷(復原)がある。
[小林寛義]
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…中国山水画の構図理論。高遠・深遠・平遠をいい,視点の位置によって異なる三つの構図形式を,北宋中期の郭熙が《林泉高致》の中で理論的にまとめたもの。高遠は山の下から頂を仰ぎ見る形式,深遠は山の前から後をのぞきうかがう形式,平遠は近山から遠山を望み見る形式をいう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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