日本歴史地名大系 「本所藤代町」の解説 本所藤代町ほんじよふじしろちよう 東京都:墨田区旧本所区地区本所藤代町[現在地名]墨田区両国(りようごく)一丁目両国東広小路の北、大川(隅田川)横堀の入堀の北側にある。東方は伊勢津藩藤堂氏蔵屋敷・南本所元(みなみほんじよもと)町御用屋敷、西は大川に面する。北は武家地。紀伊国出身の毛利藤左衛門の拝領地。藤左衛門の祖伊勢屋藤左衛門は、享保七年(一七二二)から西葛西(にしかさい)領猿江(さるえ)村亀戸(かめいど)分(現江東区)の材木蔵跡地のうち入堀分二万五千坪を埋立て、畑地として開発し、同一一年検地を受け毛利(もうり)新田と名付けた。しかし同新田は材木蔵御用地として収公され、その代地として同一九年両国東広小路北側の大川端御石置場と桐油御用達中川屋長兵衛拝借地の一部に町屋が立てられ、藤左衛門に代地として与えられ、本所藤代町と名付けられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報