淀川の一分流(新淀川開削までの淀川本流)の名称で、
大川の称は江戸時代から淀川の異称・通称として用いられているが、具体的にどの辺りをよぶかは一定していなかったようである。いちばん広くとるのは明暦―寛文年間(一六五五―七三)の近世大坂地図で、
北国脇往還
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福岡県南西端にある市。1954年(昭和29)大川町と三又(みつまた)、田口、木室(きむろ)、川口、大野島の5村が合併して市制施行した。筑後川(ちくごがわ)下流左岸の低湿な三角州地帯に位置している。国道208号、385号、442号が通じる。1751年(宝暦1)久留米藩(くるめはん)主有馬氏が若津港(わかつこう)を開いてから、筑後平野の物資集散地として発達した。現在は、天文(てんぶん)年間(1532~1555)に始まったといわれる家具、建具などの木工業が発達し、工業出荷額の過半を占めるが小工場が多い。大規模な木工団地計画による近代化が進められ、家具団地や建具団地が造成され、1964年新産業都市に指定された。
農業はクリークの発達した水田農業で、米とイグサ栽培が中心で、イチゴの生産も多い。有明(ありあけ)海でのノリ養殖、採貝などの漁業も盛んで、筑後川でエツを特産するほか、鑑賞魚養殖も発達を遂げている。青木繁(しげる)、坂本繁二郎、東郷青児(せいじ)らの絵画を所蔵する清力美術館(せいりきびじゅつかん)や風浪宮(ふうろうぐう)(本殿と五重塔は国指定重要文化財)が名高い。江戸後期の民家である旧吉原家住宅も国の重要文化財。1996年(平成8)旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋が遊歩道として開通、2003年に橋は国の重要文化財に指定された。面積33.62平方キロメートル、人口3万2988(2020)。
[石黒正紀]
『『大川市誌』(1977・大川市)』
香川県東部、大川郡にあった旧町名(大川町(ちょう))。現在はさぬき市の南東部を占める一地区。1955年(昭和30)松尾、富田の2村が合併し大川村となり、1961年町制施行。2002年(平成14)、津田、志度(しど)、寒川(さんがわ)、長尾の4町と合併、市制施行してさぬき市となる。おもに花崗(かこう)岩からなる山地と、北流する津田川の形成した低地部からなる内陸の農業地域。地区の中央を通る県道沿いに集落が発達。古くは難波の里とよばれ、富田茶臼山(とみだちゃうすやま)古墳をはじめとする多くの古墳、遺物がある。米作を主にタバコ、ムギ、イチゴなどを栽培する農業のほか、わが国屈指のボタン製造業がある。文化財としては吉金窯跡、17世紀の寄棟(よせむね)造でかや葺(ぶ)き(現在は藁(わら)葺きを使って復原)の旧恵利家住宅(えりけじゅうたく)(国の重要文化財)や郷土芸能の南川太鼓(みなみかわだいこ)などがある。
[新見 治]
『『大川町史』(1978・大川町)』
高知県中北部、土佐郡にある村。吉野川上流の山村で、北は石鎚(いしづち)山から延びる1500メートルを超す山嶺(さんれい)で、愛媛県と接している。村の中央部を貫流する吉野川は、早明浦(さめうら)ダム(土佐町)建設により人工湖となり、河畔の農耕地の多くが水没した。林業やクリの栽培、肉用牛の肥育、養鶏などが行われる。藩政時代開鉱の白滝鉱山(しらたきこうざん)(銅、硫化鉄)は昭和初期から発展し、一時は従業者1000人を超えたが、1972年(昭和47)閉鉱、鉱山集落も姿を消した。面積95.27平方キロメートル、人口366(2020)。
[大脇保彦]
『『大川村史』(1962・大川村)』
福岡県南西部の市。1954年大川町と三又,木室,田口,川口,大野島の5村が合体,市制。人口3万7448(2010)。筑後川東岸の河口に近い三角州平野を占め,1751年(宝暦1)久留米有馬藩が若津港を開いてから筑紫平野の物資集散の港町として発展した。1536年(天文5)に始まるといわれる家具・建具の生産は筑後川上流域の良質で豊富な木材を利用して著しく発達し,全国有数の木工業の町となった。建具はアルミサッシにおされて衰えたが,家具中心の木材・木工業は工業出荷額の9割以上を占め,小工場が多い。クリーク網の密な水田地帯が広がり,イグサの栽培と加工,有明海のノリ養殖が盛んで,筑後川でエツ(カタクチイワシ科の魚)を特産し,近年ヒゴイや金魚の生産も発達している。重要文化財の本殿・石造五重塔のある風浪神社,青木繁,坂本繁二郎らの絵画を蔵する清力美術館,古賀政男記念館・生家,佐賀線廃止(1987)後も保存される筑後川の昇開式鉄橋などがある。
執筆者:土井 仙吉
高知県北部,土佐郡の村。人口411(2010)。吉野川上流域に位置し,北は愛媛県に接する。四国山地にあって標高1000m以上の高峰に囲まれ,ほぼ全域が山林からなる。中央部を東流する吉野川と支流の大北川,瀬戸川の流域にわずかに耕地が開け,集落が点在する。木材のほか,コウゾ,ミツマタなどを産し,林業を主としてきたが,近年は肉用牛の飼育や薬用植物オウレンとシイタケの栽培などにも力を入れている。1973年完成の早明浦(さめうら)ダムにより,おもな集落の大半が水没し,また同年銅山として古い歴史を有する白滝鉱山が閉山して,人口が激減し,過疎化が著しい。
執筆者:萩原 毅
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…海岸沿いに多くの温泉がわくため,とくに1961年の伊豆急行電鉄開通後は温泉と火山景観を主体とする観光地として発展している。温泉は北から大川温泉(弱食塩泉,45~90℃),北川(ほつかわ)温泉(弱食塩泉,110℃),熱川(あたがわ)温泉,片瀬温泉,白田温泉(弱食塩泉,80~100℃),稲取温泉と並び,東伊豆温泉郷とよばれている。南西部の山地には野生動物を放し飼いする伊豆バイオパークがある。…
…幹川流路延長210km,全流域面積7710km2。河川法では福島県南部にある帝釈山地の荒海山(1580m)に発する源から新潟市で日本海に注ぐまでを阿賀野川というが,一般的には福島県内の上流部を大川,日橋(につぱし)川との合流点から新潟県境までを阿賀川,新潟県に入ってからを阿賀野川という。荒海山に源を発する大川は北流して会津盆地に至り,猪苗代湖に発した日橋川を合わせて阿賀川となり,西流して喜多方市山科で越後山脈に入る。…
…古くは住田川,角田川,墨田川とも書き,須田(すだ)川,あすだ川,染田川,浅草川,宮戸(都)川とも呼ばれた。近世,今の吾妻(あづま)橋から下流は大川の名で親しまれた。上流は古くは,入間(いるま)川を幹川としていたが,寛永年間(1624‐44)に現在の熊谷市久下で荒川の瀬替えが行われ,河道が入間川に移され,隅田川は荒川下流の本流となった。…
…大阪市の都心を東から西に流れる河川で,大川(旧淀川)の一部をさす。大川は中之島を挟んで北の堂島川と南の土佐堀川に分かれ,西流して合体したあと,再び安治川と木津川に分流する。…
※「大川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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