20世紀日本人名事典 「村上治朗」の解説 村上 治朗ムラカミ ジロウ 昭和期の医師 岐阜歯科大学教授・附属村上記念病院長。 生年明治42(1909)年1月11日 没年昭和55(1980)年2月21日 出身地愛媛県 学歴〔年〕京都帝大卒 経歴岐阜市民病院外科部長を務めた後、昭和18年村上外科病院を設立。労働災害の救護体制の必要性を説き、22年岐阜県労災病院協会を組織する。48年村上外科病院の施設を岐阜歯科大学(のちの朝日大学)へ寄付し、病院長兼教授となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上治朗」の解説 村上治朗 むらかみ-じろう 1909-1980 昭和時代の医師。明治42年1月11日生まれ。岐阜市民病院外科部長をつとめたのち,昭和18年村上外科病院を設立。労働災害の救護体制の必要性を説き,22年岐阜県労災病院協会をつくる。48年村上外科病院の施設を岐阜歯大(現朝日大)へ寄付し,病院長兼教授となった。昭和55年2月21日死去。71歳。愛媛県出身。京都帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by