日本大百科全書(ニッポニカ) 「東大寺大勧進職」の意味・わかりやすい解説
東大寺大勧進職
とうだいじだいかんじんしき
東大寺内で伽藍堂宇(がらんどうう)の造営修理にあたる最高責任者の称。元来大勧進は既成寺院を遁世(とんぜ)して造寺造仏活動に従事する勧進聖(かんじんひじり)集団の頭目であるが、「職(しき)」として諸寺院に登場するのは、1180年(治承4)焼失した東大寺再建のため朝廷より補任(ぶにん)された俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が最初である。以後東大寺では室町時代後期までに46代の大勧進職の就任が確認される。鎌倉時代の東大寺大勧進職には、当時廉直の評高い禅律僧(ぜんりつそう)が補任され、別当から独立して、勧進所を拠点に修造活動とその財源となる造営料国の経営にあたった。ところが鎌倉時代後期より大勧進職と寺僧との対立が相次ぎ、南北朝時代初期以降、寺住律僧の戒壇院長老(かいだんいんちょうろう)が当職を兼帯することになった。1567年(永禄10)の焼失後、大勧進職はいったん中絶し、江戸時代前期の龍松院公慶(りゅうしょういんこうけい)による東大寺再興を機に復活、以後明治初年まで歴代龍松院院主により相承された。
[永村 眞]