律令官制に正官をもつ官人が本来の職務とは〈別〉に特定官司の職務全体の統轄・監督に〈当〉たるときに補任される職名。9世紀以降寺院,令外官(りようげのかん),家政機関などの統轄責任者の称として一般化した。
(1)造東大寺司 奈良時代,造東大寺司管下の所(ところ)(写経所,造仏所など)の別当。造寺司の判官,主典らが補任され,工人,役夫を指揮して事業を分担した。
(2)寺院 諸大寺で三綱(さんごう)を指揮して大衆統制,寺領管理,伽藍修造などの寺院運営を行った最高責任者。延暦年中(782-806)の東大寺を最初とし,順次各寺院に置かれていった。大衆の推挙により官符で補任され任期は4年で,870年(貞観12)以降は解由(げゆ)の適用をうけた。このほか諸大寺には公卿,弁,史が俗別当として配属され,朝廷による保護と統制の役割を果たした。
(3)諸国 808年(大同3)大宰府所管の筑前国で府官1人を官符で別当に任じ国務を執らせた。弘仁・天長年間(810-834)畿内諸国に国守の上に立つ公卿兼任の別当を置き国務を統轄させて地方行政の刷新をはかり,寛平年間(889-898)にも大納言源能有が五畿内諸国別当に任じられた。これら国別当とは異なるが,10世紀以降国司が置いた国衙諸分課(政所(まんどころ),税所などの所(ところ))に国司郎等が目代,別当などとして配属され,在庁官人を指揮監督した。
(4)朝廷諸機関 〈検非違使(けびいし)別当〉は834年(承和1)補任の文屋秋津を初代とし,衛門督か兵衛督を兼帯する中納言か参議が宣旨で補任された。使別当は使庁の全職務を指揮監督し,別当宣は勅に準ずる権威を有した。〈蔵人所(くろうどどころ)別当〉は蔵人所の拡充期にあたる897年補任の藤原時平を初代とし,以後一上(いちのかみ)(首席公卿)が新帝受禅ののち補任される慣例となった。日常の殿上雑事は蔵人頭以下が処理したが,蔵人(頭)の補任,昇殿定,蔵人所発給文書への加署などは別当が行い,殿上,蔵人所の統轄・監督に当たった。9世紀(とくに末期に集中的)に設置されていった蔵人所所管の天皇家政諸機関(内舎人所,進物所,楽所など陣中所々)でも公卿,蔵人(頭)らが別当に補任された。寛平~延喜初年(9世紀末~10世紀初)から,公卿,蔵人(頭),弁,史らを令制諸官司,陣中所々,諸大寺有封寺の別当に補任する殿上所宛(ところあて),官所宛が行われ,朝廷の儀式・行事は,陣定(じんのさだめ)の決定や天皇,摂関,上卿の指示のもとに,関係諸司の別当が所管官司を指揮監督して運営されるようになった。
(5)家司(けいし) 親王家,三位以上家の家政を担当する家司の上首。804年無品親王家に別当が認められて以後,他の諸家も漸次設置していった。律令官制に正官をもつ官人が私的関係によって補任され,10世紀以降家令中心の令制的職員構成から政所別当を頂点とする構成に変わっていった。また平安後期になると侍所が設けられるようになり,その長官を別当といった。この制は鎌倉幕府に継承され,1180年(治承4)和田義盛が初代侍所別当となった。
(6)院司(いんじ) 上皇または女院の院中庶務を担当する院司の上首。嵯峨院が院中を統轄するために別当以下の院司を置いたのに始まり,宇多院を経て円融院のとき院司組織が整備され,別当の員数も漸次増加し,院政をはじめた白河上皇の晩年には20余人になった。別当のなかでも執行別当,年預別当が院中の統轄責任者となった。女院では991年(正暦2)東三条院に別当以下が置かれたのが始まりである。
執筆者:下向井 龍彦
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令外官(りょうげのかん)の一つ。その称は、本官(ほんかん)のある者が別にそのことを専当することに由来する。奈良時代には、東大寺をはじめとする諸大寺に別当が置かれた。平安時代になると、中央の諸官司はもとより、諸院、摂関公卿(くぎょう)家の政所(まんどころ)や畿内(きない)にも、長官の上または長官として別当を任命した。とくに蔵人所(くろうどどころ)や検非違使(けびいし)庁の別当は著名で、前者は多く左大臣をもって補し、後者は衛門府(えもんふ)、兵衛(ひょうえ)府などの外衛(とのえ)の督(かみ)が兼ねた。一般に別当といえば検非違使別当をさす。五畿内諸国別当については、895年(寛平7)に源能有(よしあり)が補せられている。また、鎌倉幕府の公文所(くもんじょ)、政所、侍所(さむらいどころ)の長官も別当という。
[渡辺直彦]
一山の寺務を統轄する長官。8世紀の造東大寺司の判官(じょう)・主典(さかん)などが、所管の山作所(やまつくりどころ)・造瓦所・木工(もく)所など統轄責任者を兼職した場合とか、僧綱(そうごう)の一員でありながら官大寺の長官を兼ねた場合には某寺別当と称せられ、その寺の三綱(さんごう)(上座(じょうざ)、寺主(じしゅ)、都維那(ついな))などを統轄指揮して寺院の経営などにあたった。752年(天平勝宝4)に良弁(ろうべん)が東大寺別当に補任(ぶにん)されたのが最初で、以後、興福寺、大安寺、薬師寺、法隆寺、四天王寺など諸大寺や神宮寺などにも別当が置かれるに至った。またこれら諸大寺には公卿、弁官、史などの本官をもった律令(りつりょう)官人が俗別当として任命され、政府との折衝・管理運営に僧侶(そうりょ)の別当とともに関与するに至った。
[堀池春峰]
1諸大寺で三綱(さんごう)を指揮して大衆統制・寺領管理・伽藍修造など寺院運営にあたった最高責任者。延暦年間の東大寺が最初。
2律令官制に正官をもつ官人が,本来の職務とは別に特定官司の統轄・監督にあたるとき補任される職名。9世紀以降,官司・家政機関・寺院(俗別当という)に設置。蔵人所(くろうどどころ)別当には一上(いちのかみ)の大臣が,検非違使(けびいし)別当には衛門督が,諸官司・諸大寺の別当には公卿・弁・史が,蔵人所所管の禁中所々では公卿・蔵人が配された。10世紀以降は,公卿・殿上人・蔵人・弁・史ら太政官(官方)・殿上(蔵人方)の構成員が別当として,諸司・所々・諸寺を統轄しながら政務・行事・法会(ほうえ)を執行するしくみになった。
3上皇・女院の院司,親王家・三位以上の公卿家の家司の上首をいい,政所別当や侍所別当があった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…供僧(ぐそう),宮僧(くそう),神僧ともいう。奈良朝ころより神仏習合思想によって神社に仏寺を建て,これに別当,検校(けんぎよう),勾当(こうとう),専当,執行など多数の職階から成る僧侶を住せしめ,神官は別当を長とする僧侶の支配をうけた。このいわゆる宮寺制の組織が,平安朝には諸社に成立した。…
…たとえば,皇室ゆかりの名刹では,平安時代から勅許によって門跡(門主)の称が許され,いわゆる門跡寺院が現れた。また,延暦寺は座主(ざす),園城(おんじよう)寺(三井寺)は長吏,東寺は長者,西大寺は長老,本願寺は法主(または門跡),東大寺,興福寺,法隆寺は別当,日蓮宗諸本山は貫主(かんじゆ)(貫首),近世の檀林などの宗学研鑚の寺では能化(のうけ),化主などと,その寺独自の呼称があった。そして,近代ではこれら大寺院は宗派を超えて管長と称すことも多い。…
…所充とも書く。平安中期から鎌倉時代にかけて,朝廷,院宮,摂関大臣家で行われた,別当を補任する儀。(1)朝廷 殿上所宛と官所宛がある。…
…上皇につかえて院中の諸事をつかさどる職員の総称。平安初期,嵯峨上皇の院中に別当や蔵人を置いたのに始まり,宇多上皇のときに大いに拡充整備され,円融上皇の院中ではその主要な機構がほぼ整った。ついで院政期に入り,執政の上皇の院司は質量ともに拡充強化されたが,南北朝時代以降,公家政権の衰退に伴ってしだいに縮小し,江戸末期,上皇の廃絶とともに院司も消滅した。…
…供御物貢進の体制は,その後11世紀後半以降再び大きく改革され,中世的な御厨と供御人(くごにん)の体制が成立するが,蔵人所はひきつづき供御人に対する裁判権を掌握し,その本家的な存在として,彼らの活動を保護する一方で,彼らの奉仕による収入を重要な経済基盤とした。
[蔵人所の職員]
蔵人所には別当,蔵人頭,蔵人,非蔵人,雑色(ぞうしき),所衆,出納,小舎人(こどねり),滝口,鷹飼等の職員が置かれた。別当(1名)は蔵人所の総裁である。…
…これらの勾当に共通するのは,出納責任者という性格であろう。また楽所,施薬院,崇親院には別当の下に勾当が置かれており,内侍司(ないしのつかさ)の三等官掌侍の第1位を勾当内侍と呼び,記録所では上卿,弁,開闔(かいこう),寄人の職員のうち,弁を勾当と呼んだ。大宰府では〈蔵司勾当〉〈兵馬所勾当〉がみえ,10世紀前半の近江,伊勢,伊賀では,郡判に検校とならんで勾当がみえる。…
※「別当」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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