日本歴史地名大系 「永村」の解説
永村
ながむら
[現在地名]泗水町永
天正一七年(一五八九)八月二八日の加藤清正判物(下村文書)に長村とみえ、当村の八一〇石を下村勝介に宛行っている。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳では屋敷数三八、屋敷持は三三―三七人と推定される。田三二町四反五畝余、畠・屋敷六七町四反一畝余、分米八一七石五斗余。寛永一〇年(一六三三)の人畜改帳によれば永村組に属し、戸数四七(うち名子百姓一〇、小百姓の親・酒屋各一)・家数二三三、人数三一一(うち名子二六・下人一三)、牛馬一三一、高八一六石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報