日本歴史地名大系 「東大輪村」の解説 東大輪村ひがしおおわむら 埼玉県:北葛飾郡鷲宮町東大輪村[現在地名]鷲宮町東大輪・桜田(さくらだ)上川崎(かみかわさき)村の北方、西大輪村の北東にある。西大輪村とはもと一村であった。当地から永仁元年(一二九三)、建武二年(一三三五)銘などの板碑が発見されている。田園簿に村名がみえ、田高三八〇石余・畑高四三〇石余、幕府領、ほかに密蔵(みつぞう)寺領高一〇石がある。元禄郷帳では高八九五石余。国立史料館本元禄郷帳では旗本本多・松平二家の相給のほか密蔵寺領。「風土記稿」によると家数六九。日光道中幸手(さつて)宿の助郷であり、慶応二年(一八六六)当時は勤高七三四石で同宿の定助郷役を勤めている(「御用留帳」田口家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by