出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸の地名。その位置は江戸城の拡大や都市の整備にともない変遷したが,江戸時代後期には現在の港区西新橋1丁目付近に落ち着いた。古く《和名抄》に荏原郡桜田郷が見え,《小田原衆所領役帳》に桜田とある。1590年(天正18)徳川家康が入国したころは霞ヶ関辺にあった桜田村が外堀端に移され,伏見町,善右衛門町,久保町,太左衛門町,備前町,鍛冶町,和泉町の外桜田七ヵ町が成立した。やはり江戸初期に幸橋門外に設けられた兼房町を合わせた8町は1794年(寛政6)類焼して火除地となり南隣に移転した。堀端の火除地にはのちに大的場や馬場,厩ができた。町域の周囲は臼杵藩稲葉家,小野藩一柳家,一関藩田村家の上屋敷をはじめほとんどが武家地で,愛宕下大名小路,佐久間小路,神保小路(田村小路)などの地名が生まれた。1827年(文政10)8町の総戸数906(地主・家持24,地守・家守97,地借102,店借617,明店66)であり,幕末の資料によれば当地域に多い問屋商人の業種は人宿,六組飛脚問屋などである。1932年ほとんどが芝区田村町に編入された。現在では桜田門と,桜田門から五反田に至る桜田通りにその名を残すにすぎない。桜田門は,内桜田門(桔梗門)に対し正式には外桜田門といい,桜田門外の変で知られる。桜田門に面して1931年この地に移った警視庁がある。
執筆者:松崎 欣一+正井 泰夫
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