東潟元村
ひがしかたもとむら
[現在地名]高松市屋島中町
新田村の北、屋島の南麓に立地する。文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」に方本(潟元)塩の記載があり、室町時代すでに揚浜式の製塩が行われていた有数の製塩地。塩は当地ほか東部の庵治、西部の野原からの船で運送された。方本からの船の兵庫入津は延べ一一回を数え、運ばれた塩は六千六〇〇石余。四〇〇―五〇〇石積の大型船があり、港津としても重要地で、当時細川氏被官の十河氏が港津を管領していたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 