東矢場(読み)ひがしやば

日本歴史地名大系 「東矢場」の解説

東矢場
ひがしやば

[現在地名]東区東矢場町

情妙じようみよう寺の東南にあたり、「蓬州旧勝録」に「情妙寺前町東へ行、土橋を越へ北南の諸士小路二筋在り、此二町を差て矢場と云、弓矢場は東町中程より入東側也」とあり、「編年大略」に「指矢堂、建中寺東と万松寺後北と両所に出来也、但、矢場は古よりありとも云々」とみえ、京都三十三間堂の形を模して作られたといわれる。南(万松寺裏)に対して東矢場と称したが、文化四年(一八〇七)に南は廃され、東のみ明治維新まで続いた(府城志、明治二年名古屋図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 尾府名古屋図

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む