日本歴史地名大系 「東茂呂村」の解説 東茂呂村ひがしもろむら 茨城県:結城市東茂呂村[現在地名]結城市東茂呂北南茂呂(ほくなんもろ)村の東に位置。南は尾崎(おさき)村(現猿島郡三和町)。一ッ木(ひとつぎ)・蓮縄田(はすなだ)の集落も当村に属する。天正一八年(一五九〇)九月の山川晴重宛の豊臣秀吉宛行状(山川修二文書)に「二百六十貫八百文 をさきひかしもろ ひとつき」とあり、山川氏領に属していた。慶長六年(一六〇一)に天領となり、のち一八世紀中期には一橋家領となって明治に至る。中世には毛呂(もろ)郷のうちで、一七―一八世紀初頭頃までは、北南茂呂村と一括して茂呂村とよばれたが、一八世紀末頃には再び東茂呂村と称されるようになる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報