デジタル大辞泉 「結城市」の意味・読み・例文・類語
ゆうき‐し〔ゆふき‐〕【結城市】
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市域には先土器時代の遺物として大字
五世紀以降になると
七世紀後半頃、下総国に結城郡が成立し、郡衙は郡のほぼ中心の上山川の字
平将門の乱に、市域の豪族たちがどのようにかかわったかは不明であるが、承平七年(九三七)平貞盛・良兼らが将門の
中世には結城城主結城氏が活躍するが、その祖朝光は下野大掾小山政光の三子で、寿永二年(一一八三)の志田義広の乱で戦功をあげ、源頼朝から結城郡を与えられた。結城家之記(松平基則氏旧蔵)によれば結城氏以前には郡司の簗・一手(人手)両氏が存在し、朝光に郡司職を譲ったとある。しかし結城氏は結城郡全体を支配したのではなく朝光の子(娘婿ともされる)の山川重光およびその子孫は、郡南半を支配下に置き、郡北半を支配する結城氏に比肩しうる勢力をもち、居館(東持寺館跡)が上山川にあった。この分割支配体制は中世を通じて存続し、「吾妻鏡」には両氏とも鎌倉幕府の有力御家人として登場するが、山川氏は北条氏の専制支配が強化されるとしだいにこれに従属し、元亨元年(一三二一)山川貞重が伝来の所領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報