松下町三丁目南側代地(読み)まつしたちようさんちようめみなみがわだいち

日本歴史地名大系 「松下町三丁目南側代地」の解説

松下町三丁目南側代地
まつしたちようさんちようめみなみがわだいち

[現在地名]千代田区内神田うちかんだ二丁目

松下町二丁目南側代地の東に位置する片側町。東は新革屋しんかわや町代地、南は鎌倉かまくら町、北は皆川みながわ町一丁目・永富ながとみ町一丁目。江戸時代前期以来の武家地で、寛文新板江戸絵図では真田伊賀守が拝領している。元禄年間(一六八八―一七〇四)は遠山権左衛門、同一〇年になると永富町が成立。沿革は二丁目南側代地に同じで、松下町三丁目とも称した(安永三年小間附町鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む