鎌倉(読み)かまくら

精選版 日本国語大辞典 「鎌倉」の意味・読み・例文・類語

かまくら【鎌倉】

[一] 神奈川県南東部、三浦半島西岸の地名。建久三年(一一九二)、源頼朝幕府を開いて、政治の中心となったが、室町末期には衰微長谷(はせ)大仏鶴岡八幡宮、鎌倉五山など史跡社寺が多く、その西方江の島がある。また、今日では高級住宅地として有名であり、行楽地海水浴場としても知られる。昭和一四年(一九三九)市制。
[二] 神奈川県の東部にあった郡。昭和一四年(一九三九)以降、鎌倉市・横浜市・藤沢市順次編入され、同二三年消滅。

かまくら【鎌倉】

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デジタル大辞泉 「鎌倉」の意味・読み・例文・類語

かまくら【鎌倉】

神奈川県南東部の市。南は相模さがみに面し、三方丘陵や谷が多い。鎌倉幕府が置かれた地で、幕府跡・鶴岡八幡宮建長寺円覚寺長谷はせの大仏長谷観音などの史跡・社寺や文化財が多い。由比ヶ浜ゆいがはま・材木座海岸は海水浴場。住宅地。人口17.4万(2010)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鎌倉」の解説

鎌倉
かまくら

神奈川県南東部に位置し,相模湾に臨む。735年(天平7)の「相模国封戸租交易帳」に鎌倉郡・鎌倉郷の名称がある。平安後期,東国武士団を率いた源頼義が所領とし,石清水(いわしみず)八幡宮勧請,鶴岡八幡宮となる。1180年(治承4)伊豆で挙兵した源頼朝は鎌倉に入り,日本初の武家政権の根拠地とした。以後東国の中心都市として発展室町時代には鎌倉府が設置されたが,1455年(康正元)関東公方足利成氏(しげうじ)が室町幕府の追討軍に追われ,下総の古河(こが)を拠点としたため衰退。戦国期には小坂郡・東郡とよばれた。北条早雲が玉縄城を築城し,近世初頭には再び鎌倉郡とよばれ,神社・寺院が多く,江の島・大山詣の途中に立ち寄る遊山の地としてにぎわった。明治期以降は,別荘地・保養地として著名。1939年(昭和14)鎌倉・腰越の2町が合併し市制施行。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鎌倉」の解説

鎌倉
かまくら

神奈川県三浦半島基部にあり,相模湾に面した都市。鎌倉幕府の所在地
源頼義が,八幡宮を勧請して以来源氏とゆかりが深く,1180年源頼朝は要害の地形に着目してここを根拠地とした。1333年鎌倉幕府滅亡まで武家政治の中心地として繁栄。室町時代には,足利基氏とその子孫が鎌倉公方として居住。1455年足利成氏が古河 (こが) に出奔してから政治都市としての生命は衰えた。近世以降は観光地として発展。1939年市制施行。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「鎌倉」の解説

鎌倉
(通称)
かまくら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
鎌倉三代記
初演
享保4.1(京・大和山座)

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