松井兵三郎(読み)マツイ ヒョウザブロウ

20世紀日本人名事典 「松井兵三郎」の解説

松井 兵三郎
マツイ ヒョウザブロウ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治7年6月(1874年)

没年
昭和12(1937)年9月20日

出身地
京都府

学歴〔年〕
陸士〔明治29年〕卒,陸大卒

経歴
明治30年陸軍歩兵少尉となる。教育総監部参謀、陸軍戸山学校教官、陸軍砲工学校教官、歩兵第42連隊長、第14師団参謀長兼軍政部長を歴任。軍務局航空課長から、大正9年青島(中国)守備歩兵隊司令官に転じ、のち一線の指揮官を多く務めた。10年サハレン州派遣軍参謀長、12年第5師団司令部付、同年歩兵第1旅団長を経て、14年中将となり憲兵司令官を務める。この間、日露戦争・第1次世界大戦・シベリア出兵従軍。昭和2年第16師団長となり、5年待命となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井兵三郎」の解説

松井兵三郎 まつい-ひょうざぶろう

1874-1937 明治-昭和時代前期の軍人
明治7年6月生まれ。青島(チンタオ)(中国)守備歩兵隊司令官,憲兵司令官,第十六師団長をつとめる。陸軍中将。昭和12年9月20日死去。64歳。京都出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む