松井憲三(読み)マツイ ケンゾウ

20世紀日本人名事典 「松井憲三」の解説

松井 憲三
マツイ ケンゾウ

大正・昭和期の登山ガイド



生年
明治28(1895)年11月29日

没年
昭和46(1971)年12月6日

出生地
岐阜県上宝村

経歴
大正期より営林署の高山植物監視員となり、飛驒蒲田流域の山々を歩くうちにガイドを引き受けるようになり、大正10年代から昭和初期にかけて多くの登山者に親しまれた。特に学習院、慶応の山岳部とのつきあいは深く、穂高連峰中心に活躍した。大正14年穂高滝谷における早大パーティー、関西RCC(ロッククライミングクラブ)の藤本九三らの登攀にあたっては、RCCパーティーを導いてA沢の初登に成功。また笠ケ岳、西穂高の登山道作りなど北飛驒の開発に努力、「北アの守り神」と称された。昭和34年から北飛山岳遭難救助隊長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井憲三」の解説

松井憲三 まつい-けんぞう

1895-1971 大正-昭和時代の登山ガイド。
明治28年11月29日生まれ。営林署の高山植物監視人。大正末から昭和初期,穂高岳を中心に活動し,学習院大,慶大のパーティーを案内した。笠ケ岳などの登山道づくりにもつとめ,のち北飛山岳救助隊長。昭和46年12月6日死去。76歳。岐阜県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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