20世紀日本人名事典 「松宮幹樹」の解説 松宮 幹樹マツミヤ カンジュ 明治・大正期の新聞記者 奉天毎日新聞社長。 生年明治18(1885)年 没年大正15(1926)年11月7日 出生地福井県大館郡高浜町 経歴大正7年大阪毎日新聞の奉天特派員となり、中国に渡る。奉天内外通信社の事業を継承して、10年組織を改め「奉天毎日新聞」を創刊して社長となった。張作霖に反抗して兵を起こした郭松齢が敗れ、その外交部長格の殷汝耕が、15年新民屯の日本領事館に逃げ込んだ際には、その救出に活躍した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松宮幹樹」の解説 松宮幹樹 まつみや-かんじゅ 1885-1926 明治-大正時代の新聞記者。明治18年生まれ。大正7年大阪毎日新聞の奉天特派員となり中国にわたる。10年「奉天毎日新聞」を創刊して社長となった。大正15年11月7日死去。42歳。福井県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by