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張作霖 ちょう さくりん

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美術人名辞典の解説

張作霖

中国の軍閥政治家。遼寧省生。字は雨亭。日本軍と結び東北の全権を掌握、奉天軍閥を形成、首領となる。第二次奉直戦争後、北京政権を掌握。安国軍政府を組織し中華民国陸軍大元帥を称す。北伐軍に敗れ東北に退去する際、関東軍に爆殺され、民国16年(昭和2・1927)歿、54才。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐さくりん〔チヤウ‐〕【張作霖】

[1875~1928]中国の軍人・政治家。奉天派の総帥。海城(遼寧(りょうねい)省)の人。字(あざな)は雨亭。馬賊の出身。東三省を支配下に収め、北京政界に進出。1926年東三省保安総司令に就任、翌年大元帥を称し、北京政府を掌握。1928年、国民党北伐軍に大敗。日本の関東軍による列車爆破で死亡。チャン=ツオリン。

チャン‐ツオリン【張作霖】

ちょうさくりん(張作霖)

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百科事典マイペディアの解説

張作霖【ちょうさくりん】

中国,民国初期の奉天派軍閥。奉天省の人。清末の緑林(匪賊(ひぞく))出身。1916年奉天省の,次いで1919年まで東北3省の実権を握る。その後,直隷派と結び1927年大元帥として北京政府を操ったが,1928年北伐軍に敗れ,奉天への退去の途中,日本軍に列車を爆破されて死亡。
→関連項目殷汝耕王克敏山東出兵瀋陽張学良奉直戦争李大【しょう】

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

張作霖 ちょう-さくりん

1875-1928 中国の軍人。
光緒元年2月12日生まれ。張学良の父。日本軍の支援をえて東三省(中国東北部)を統一し,奉天派軍閥の首領となる。1926年北京政府を支配し,翌年陸海軍大元帥を称した。国民党北伐軍の進撃により奉天へひきあげる途中の1928年6月4日関東軍に列車を爆破され死去。54歳。奉天省(遼寧省)出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうさくりん【張作霖 Zhāng Zuò lín】

1875‐1928
近代中国の軍人。奉天(今の遼寧)省海城県出身。字は雨亭。貧農の家に生まれたが,父親ゆずりのばくち好きで正業につかず,やがて〈緑林〉(土匪)に投じて頭角を現した。日露戦争に際しては,機を見て日露双方のスパイをつとめたといわれる。巧みな処世術と投機の才を武器に,辛亥革命前後の動乱に乗じて身をおこし,一代で奉天軍閥を築き上げた張は,13年間にわたって中国東北地方に君臨したのみでなく,関内をもうかがって軍閥戦争(第1,第2奉直戦争)を繰り返した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうさくりん【張作霖】

1875~1928) 中国の軍閥。馬賊から北洋軍閥奉天派の首領となり、中国東北地方を支配。一時、日本軍と結び北京政府の実権を握ったが、国民党軍の北伐にあい、奉天へ逃れる途中、1928年関東軍の謀略による列車爆破で死亡。チャン=ツオリン。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張作霖
ちょうさくりん
Zhang Zuo-lin

[生]光緒1(1875).3.19. 遼寧,海城
[没]1928.6.4. 瀋陽近郊
中国,東北の軍閥。奉天派の領袖。馬賊の出身で,日露戦争中に日本軍と密接な関係をもつにいたり,1912年第 27師長となり,16年奉天省長兼督軍となって奉天省の実権を握った。 19年東三省を事実上支配するにいたった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張作霖
ちょうさくりん / チャンツオリン
(1875―1928)

中国の軍閥。字(あざな)は雨亭。奉天(ほうてん)省(現、遼寧(りょうねい)省)海城県の人。馬賊から身をおこし、日露戦争では日本軍の別働隊として暗躍。のち清(しん)朝に帰順。辛亥(しんがい)革命のとき、奉天(現瀋陽(しんよう))市内に入り警備にあたる。1916年、奉天将軍の段芝貴(だんしき)を追って督軍になる。1918年、東三省巡閲使、その後、黒竜江、吉林(きつりん)両省を支配下に収めて、東三省全体に君臨する奉天軍閥を形成した。1920年安徽(あんき)派・直隷(ちょくれい)派の争いに介入し、北京(ペキン)政界に進出。1924年、第二次奉直戦争に大勝すると、彼の勢力は大幅に伸長し、その支配領域は華北、華東を経て遠く江蘇(こうそ)にまで及んだ。その後、軍閥孫伝芳(そんでんほう)、馮玉祥(ふうぎょくしょう)の反発、および部下の郭松齢(かくしょうれい)の反乱があり、一時、東北に戻った。1926年、呉佩孚(ごはいふ)と結んで馮玉祥を追い安国軍総司令と称した。1927年4月、北京のソビエト大使館を捜索、そこにいた李大(りたいしょう)らの中国共産党員を殺害した。同年6月、陸海軍大元帥を称し、北京政府を掌握した。1928年、国民党の北伐軍の進撃を受け、やむなく東北への撤退を決意し、6月、座乗列車が奉天郊外の皇姑屯(こうことん)付近で日本の関東軍により爆破され死んだ。
 張作霖は日本の後援を受けて軍閥として成長し、日本もまた彼を利用して東北に進出しようとした。その点で両者は互いに利用しあう関係にあった。しかし、彼が東北の枠を越えて全国的な規模の軍閥に成長すると、アメリカなどとのつながりが生まれ、かならずしも日本のいうことに従わなくなったのが、殺されたおもな理由であろう。[倉橋正直]

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世界大百科事典内の張作霖の言及

【中華民国】より

…ここに南北対立の局面が出現し,以後この分裂の構図は北伐の完成まで約10年間あまりつづくことになる。 この状況に直面して段祺瑞は北洋派をあげての武力統一を図ったが,その結果,同派の内部矛盾が急激に顕在化し,段祺瑞の安徽派,馮国璋(ふうこくしよう)の直隷派,張作霖の奉天派等々が入り乱れて中央政権の争奪戦を演じ合うことになる。段祺瑞のひきいる安徽派は20年7月の安直戦争に敗れて政権を失い,直隷派とその同盟軍奉天派が政権の座についた。…

【北洋軍閥】より

…直奉の連合もすぐ破れ,22年春には第1次奉直戦争が勃発,直隷派が勝利を収めた。しかし直隷派も,日本の後押しをうけた張作霖の奉天軍との24年秋の第2次奉直戦争において,自軍内部の馮玉祥の裏切りで敗れた。張馮の連合もすぐ破れ,26年春,形勢不利を悟った馮玉祥の国民軍が北京を退出するにおよび中央政府は張作霖の手中に帰した。…

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