松山良朔(読み)マツヤマ リョウサク

20世紀日本人名事典 「松山良朔」の解説

松山 良朔
マツヤマ リョウサク

明治・大正期の陸軍中将



生年
明治7年10月(1874年)

没年
昭和5(1930)年7月8日

出身地
石川県

旧姓(旧名)
名雪

学歴〔年〕
陸士〔明治28年〕卒,陸大〔明治34年〕卒

経歴
明治28年陸軍歩兵少尉となり、37年日露戦争には姫路第10師団参謀として出征したが、講和成立と同時に鉄道受領員として敏腕を振るった。ついで台湾歩兵第2連隊長となり、第12師団参謀長としてシベリア従軍、のち歩兵第25旅団長、第4師団司令部付などを務め、大正13年中将となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松山良朔」の解説

松山良朔 まつやま-りょうさく

1874-1930 明治-大正時代軍人
明治7年10月生まれ。第十二師団参謀長,歩兵第二十五旅団長などをつとめ,大正13年陸軍中将。昭和5年7月8日死去。57歳。石川県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む