朝日日本歴史人物事典 「松岡小鶴」の解説
松岡小鶴
生年:文化3(1806)
幕末の播磨国神東郡田原村(兵庫県神崎郡福崎町)の儒医松岡左仲の娘。通称小けん。剃髪後の号は自謙。幼いころより,漢詩漢文を読破し詩をつくる。婿を迎えたが父と折り合いが悪いため離婚。書物で医を学び女医として開業。のち塾を開き一家を養う。一子操の教育は厳しく,遊学中の書簡はすべて漢文であった。孫に国文学者井上通泰,民俗学者柳田国男,日本画家松岡映丘がいる。<参考文献>松岡鼎編『松岡小鶴女子遺稿』(私家版)
(柴桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報