1870年代から90年代にかけて欧米諸国を見舞った経済不況。その現れ方,激しさ,始期・終期は国によってまちまちだが,1873年から74年にかけて,まず,アメリカ合衆国での金融逼迫(ひつぱく),鉄道建設の衰退,ウィーンでの取引所ブームの崩壊,ドイツにおける重工業の不振といった形で顕在化し,ついでイギリスで激しい形をとり,80,90年代にはフランス経済にも深刻な影響を与えた。とくに当時の経済最先進国イギリスでは,1873年から96年にかけて顕著な物価の低落傾向がみられ,それゆえに従来,1873-96年の時期が一般に大不況の期間とされてきた。また,この不況は,工業部門だけでなく農業部門にも現れ,とくにイギリスの穀物生産は,この時期に壊滅的な打撃を被った。大不況の原因については,相対的な貨幣不足に求める説,生産費・運送費等コストの低廉化に求める説,さらには大不況を73年,82年,90年の三つの恐慌に分け,それらを循環的な過剰生産恐慌とみる説など,いろいろな説明がなされている。また,最近のイギリスでは,1873-96年の時期を大不況期として特別視することに批判的な見解も提出されている。
執筆者:村岡 健次
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[帝国主義段階の恐慌の形態変化]
1873年恐慌にさきだつ好況の主軸は,イギリスの資本輸出,アメリカ,ヨーロッパの鉄道建設,石炭・鉄鋼業の繁栄の関連に移され,その破綻に伴い,ニューヨークやヨーロッパ諸都市には急性的恐慌が生じながら,金融中心地ロンドンは金融恐慌をみることなく不況に転換していく。それに続く1873‐96年は,イギリス産業の過剰な固定資本の処理の困難,生産力の停滞,物価の低落傾向,利子率の低水準などにみられる〈大不況Great Depression〉が支配した時期であり,そのなかに生じた1882年恐慌や1890年恐慌にかけての好転も,微弱で短命なものであった。しかもその間,いわゆる交通革命の影響をうけてアメリカや東欧から安価な穀物が流入し,構造的な農業恐慌が存続した。…
…つまりこの時代のイギリスは〈世界の製鉄所,世界の運送業者,世界の造船業者,世界の銀行家,世界の工場,世界の手形交換所,世界の貨物集散地〉であり,世界の貿易はイギリスを基軸として動いていたのである。
[工業覇権の喪失]
〈ビクトリア朝の繁栄期〉は1873年の恐慌によって終止符が打たれ,それから第1次大戦に至る40年の間に,イギリス経済は〈大不況期〉(1873‐96)と呼ばれる苦難にみちた停滞期を経験し,世界最初の工業国としての卓越した地位を失った。過去の繁栄を支えてきた鉄鋼,石炭,繊維などの〈旧〉産業は,また最も重要な輸出産業であったが,西欧やアメリカにおける後進工業国の台頭によってしだいに輸出市場が縮小し,往年の活力を失った。…
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[帝国主義段階の恐慌の形態変化]
1873年恐慌にさきだつ好況の主軸は,イギリスの資本輸出,アメリカ,ヨーロッパの鉄道建設,石炭・鉄鋼業の繁栄の関連に移され,その破綻に伴い,ニューヨークやヨーロッパ諸都市には急性的恐慌が生じながら,金融中心地ロンドンは金融恐慌をみることなく不況に転換していく。それに続く1873‐96年は,イギリス産業の過剰な固定資本の処理の困難,生産力の停滞,物価の低落傾向,利子率の低水準などにみられる〈大不況Great Depression〉が支配した時期であり,そのなかに生じた1882年恐慌や1890年恐慌にかけての好転も,微弱で短命なものであった。しかもその間,いわゆる交通革命の影響をうけてアメリカや東欧から安価な穀物が流入し,構造的な農業恐慌が存続した。…
※「大不況」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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