松陰村(読み)まつかげむら

日本歴史地名大系 「松陰村」の解説

松陰村
まつかげむら

[現在地名]明石市大久保町松陰おおくぼちようまつかげ

谷八木たにやぎ川中流に位置した村で、南は森田もりた村・大久保町。野々上組に所属。永正一五年(一五一八)一一月七日の新右衛門尉売場売券(芥田文書)に「東限蔭松、同賀古河市」とみえる「蔭松」は当地とも考えられ、津田与四郎家譜(鳥取県立博物館蔵)に引く慶長六年(一六〇一)の池田輝政家来地方知行状によると、「かけ松村之内」などが津田源次郎に与えられている。慶長国絵図に「かげ松村」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む