コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

天台宗 てんだいしゅう

7件 の用語解説(天台宗の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天台宗
てんだいしゅう

中国,隋の智 顗を開祖とする仏教宗派。『法華経』の教説に基づいて五時八教の説を唱え,観法によってすみやかに成仏することを説く大乗仏教の一派。智 顗の著書『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』 (三大部) によって天台宗の教義が確立した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

てんだい‐しゅう【天台宗】

法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄比叡山延暦寺を建て開宗。のち、山門派寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

天台宗【てんだいしゅう】

大乗仏教の一派。中国では天台大師智【ぎ】(ちぎ)が開創。その著《法華玄義》《法華文句》摩訶止観》の三大部によって立てられた《法華経》を中心とする円頓一乗の教義とその実践に立脚する。
→関連項目打聞集霧島山久遠実成山門派・寺門派寺門寂光土浄土信仰大正大学大日経大日如来題目澄憲天海天台座主天台山中西悟堂仏教平安時代平安仏教六根清浄

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

葬儀辞典の解説

天台宗

■本尊/釈迦牟尼如来■宗祖/最澄(伝教大使)■本山/延暦寺(滋賀比叡山)葬儀の特徴は、授戒と引導を中心に仏の供養と念仏によって得る功得をもって、故人の冥福を祈ります。授戒式を通夜あるいは入棺のとき行い、葬儀の後続いて引導を行います。

出典|葬儀ベストネット
Copyright Interlink. All Rights Reserved.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、内容は地域・宗派によって異なる場合があります。

世界大百科事典 第2版の解説

てんだいしゅう【天台宗】

中国と日本仏教の一派の名。天台法華宗ともよばれる。 隋代,天台智顗(ちぎ)が第2代皇帝煬帝(ようだい)の帰依をうけ浙江省の天台山国清寺と湖北省の荆州玉泉寺をひらき,中国仏教を再編したのに始まる。すでに5世紀の初め,クマーラジーバ(鳩摩羅什)が漢訳した《法華経》に基づき,智顗が著した注釈書の《法華玄義》と《法華文句》および《摩訶止観》の3部を根本聖典とする。9世紀の初めに,伝教大師最澄が入唐し,智顗より7代目の道邃と行満について宗旨をうけ,比叡山に延暦寺を創して日本天台をひらくが,最澄は,天台法華宗のみならず,達麿系の禅,円頓戒,密教という,同時代の中国仏教をあわせて,奈良仏教に対抗する新仏教運動の根拠としたため,日本天台は中国のそれとかなりちがったものとなる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

てんだいしゅう【天台宗】

日本八宗・中国一三宗の一。インドの竜樹に始まり、北斉の慧文えもん・慧思えしを経て隋の智顗ちぎにより大成された大乗仏教の一宗派。法華経を所依とし、止観の実践に基づき、中道・実相の世界を説く。日本へは奈良時代に唐の僧鑑真がんじんが初めて伝えたが定着せず、平安初期に入唐した最澄が比叡山に寺院を建て宣教して以後、大いに広まり、次第に密教色を深めていった。のち山門派と寺門派に分裂し、さらに下って真盛派も生まれた。天台法華宗。法華宗。止観宗。天台円宗。台密。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天台宗
てんだいしゅう

6世期末、中国浙江(せっこう)省台州の天台山において、智(ちぎ)禅師が創始した教学と修行を奉ずる、中国・日本仏教を通じての代表的宗派。日本では平安時代に最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)に伝えて平安仏教の中心となり、文化に多大の影響を与えた。天台法華宗(ほっけしゅう)、法華円宗(えんしゅう)、台宗、叡山仏教ともいわれる。
 岳州(湖南省洞庭湖の北)華容県出身の智は光州(河南省南部商城県)南方の大蘇山(だいそざん)における慧思(えし)禅師の下で禅観を修し、『法華経(ほけきょう)』の真髄を受けたのち、金陵(きんりょう)(南京(ナンキン))で教化活動に入り陳帝はじめ僧俗多くの帰依者(きえしゃ)を集めたが、575年、38歳のとき天台山に籠(こも)り思索と実修に努めた。これが天台教義成立の成果となって、法華経精神によって全仏教を体系づけた『法華玄義(ほっけげんぎ)』、天台修行法の止観(しかん)を思想的に意義づけた『摩訶止観(まかしかん)』、独自の法華経注釈書『法華文句(ほっけもんぐ)』の天台三大部を講述した。これらの書は天台教義の指南となっただけでなく、インド伝来の仏教を中国人の実修できる仏教として形成した意義がある。しかも彼は釈迦(しゃか)から十三祖龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)の『大智度論(だいちどろん)』→慧文→慧思→智の相承(そうじょう)を主張した。師の講述の多くを筆録した章安灌頂(かんじょう)はじめ多くの門下は、この相承を守って天台山で修学し、灌頂→智威(ちい)(?―680)→慧威(えい)(634―713)→玄朗(げんろう)(673―754)→湛然(たんねん)と受け継がれた。智は全仏教を統摂し五時(5段階)に分類して意義づけ、すべての教理を蔵教(ぞうきょう)、通教(つうぎょう)、別教(べっきょう)、円教(えんぎょう)の四教で判じ、空仮中(くうけちゅう)の三観(さんがん)を綱格として、日常心の一念のうちに地獄や餓鬼(がき)から仏に至る十界が内在するという「一念三千」の思想や、人間的計らいを超越した境地を説く円教を主張した。[塩入良道]

中国天台

天台山六祖荊渓(けいけい)湛然は、当時盛行した華厳学(けごんがく)や『起信論(きしんろん)』を学び、三大部の注釈や多くの著述で天台教義を宣揚し瓦礫成仏(がりゃくじょうぶつ)の説や仏教性悪説(しょうあくせつ)をも展開した。唐の武宗の廃仏や五代の戦乱により衰えた仏教は北宋(ほくそう)代に復興し、天台教学も十二祖義寂(ぎじゃく)と同門の志因(しいん)の両系から学僧が輩出し、教学の精密な研究の結果異論が生じ、山家(さんげ)・山外(さんがい)の論争に至った。義寂の弟子義通(927―988)とその門下の知礼(ちれい)や遵式(じゅんしき)らは四明山(しめいざん)や明州(寧波(ニンポー))を中心に、志因系の悟恩(912―986)、源清、慶昭(936―1017)らは銭唐(せんとう)(杭州)地方に住し、互いに反論書を著して70年に及ぶ論争を繰り返し、前者が山家派と称して後者を山外派と貶称(へんしょう)した。四明知礼門下の南屏(なんべい)(?―1103)、神照(じんしょう)(982―1051)、広智(こうち)の3系統は後世まで天台主流とされ、遵式系も教化面で活躍したが、山外派は漸次消滅した。南宋代には善月(ぜんげつ)や志磐(しばん)らが講学に秀で、元代は仏教学全体が衰微したが、明(みん)代に復興して禅や浄土との融合に進み、明末に学僧智旭(ちぎょく)が出た。[塩入良道]

日本天台

日本天台宗は、785年(延暦4)最澄が東大寺で受戒した年、南都の仏教を避けて入山した比叡山で開創され、この山を中心に発展した。自ら完成するまで下山しないと『願文(がんもん)』で誓った最澄の法華教学は朝廷に認められ、彼は804年(延暦23)天台法門を求めて入唐(にっとう)した。入唐中の最澄は、湛然門下の道邃(どうずい)と行満(ぎょうまん)から天台円教を付法したほか密教、菩薩戒(ぼさつかい)、達磨禅(だるまぜん)の相承を伝えられ、のち円・密・戒・禅の四宗融合と称される。806年、南都六宗10人に対し、天台宗にも毎年2人の年分度者(ねんぶんどしゃ)(公認僧)を請い、ただちに勅許され、この年を天台宗の立教開宗とする。
 天台法華宗は南都仏教とくに法相宗(ほっそうしゅう)から非難を受け、徳一(とくいつ)との一乗三乗の論争(三一権実論争(さんいちごんじつろんそう))となり、最澄は人間の能力に応じて差別的教えがあるという三乗教に対して、法華円教こそ差別を超越した一乗の真実の教えと論難した。これが『守護国界章(しゅごこっかいしょう)』や『法華秀句(ほっけしゅうく)』などの著述となり、教えや修行に大・小乗があるように戒にもそれがあり、大乗戒こそ日本相応の仏教であると3回上奏し(のちこの三つの式を総称し『山家学生式(さんげがくしょうしき)』という)、『顕戒論(けんかいろん)』を奉って大乗菩薩戒を主張し、仏教統制官僧の僧綱(そうごう)の支配から独立する運動に生涯をかけた。822年(弘仁13)最澄の入滅後7日に大乗戒の勅許が下り、翌823年高弟義真(ぎしん)は遺弟に大乗戒を授け、また延暦寺(えんりゃくじ)号を賜り官寺に加えられた。[塩入良道]
叡山仏教の確立
最澄門下には逸材が多かった。師とともに入唐した義真は師没後の一山を統率し、824年(天長1)勅命で延暦寺伝法師(1世座主(ざす))となった。第2世を継いだ円澄(えんちょう)(772―837)、入唐して師の不十分な密教を伝承し台密(たいみつ)(天台密教)の基を築いた円仁(えんにん)や円珍(えんちん)、唐土で没した円載(えんさい)(?―877)、師の行業を伝記とした一乗忠(仁忠?)、延暦寺別当で『伝述一心戒文』を著した光定(こうじょう)らが比叡山興隆の基礎を確立した。初の勅任座主(3世)となった円仁は、師の没後入唐して会昌(かいしょう)の廃仏(845)にあうが、その旅行記『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいぎょうき)』は世界的に著名である。帰国後、横川(よかわ)を開き如法写経会(にょほうしゃきょうえ)を始修し、写経によって悟れるという師の思想を実践に移し、五台山の念仏を伝えて叡山浄土教の基とした。円珍も入唐し多くの経軌(きょうき)や図像などを伝えて台密の充実を図り、三井寺(みいでら)(園城寺(おんじょうじ))を中興し、勅により延暦寺別院となし、門下の惟首(ゆいしゅ)(826―893)、猷憲(ゆうけん)(827―894)、増命(ぞうみょう)(843―927)、尊意(そんい)(866―940)は座主となった。[塩入良道]
天台宗の発展
円仁滅後に4世座主となった安慧(あんね)(794―868)、六歌仙に入った遍昭(へんじょう)はじめ、安然(あんねん)、相応(そうおう)(831―918)は円仁門下で、安然は台密を五教論で大成させ、相応は修験(しゅげん)的行法による回峰行(かいほうぎょう)を創始した。天台宗を日本仏教の中枢としたのは18世座主慈恵大師(じえだいし)(元三(がんさん)大師)良源(りょうげん)で、皇室や貴族の庇護(ひご)を受けて堂舎を再興し、論議をおこして学問の発表会を設け、『二十六条式』を制して僧団の刷新を図った。「門下三千」と称されたうち、覚運(かくうん)は法華円教を宣布してその門流を檀那流(だんなりゅう)と称した。また源信(げんしん)は恵心僧都(えしんそうず)といわれ、その著『往生要集(おうじょうようしゅう)』は叡山浄土教を確立させ念仏思想の基となり、この門流を恵心流とよぶ。同門の横に住した覚超(かくちょう)は密教に秀で、その法系を川流(かわのりゅう)と称し、東塔南の皇慶(こうけい)の密教法流を谷流(たにのりゅう)という。同門の増賀(ぞうが)は大和(やまと)(奈良県)の多武峰(とうのみね)に入り法華三昧(ざんまい)を行じ、性空(しょうくう)は各地の霊山で修行して播磨(はりま)(兵庫県)の書写山(しょしゃざん)に円教寺(えんぎょうじ)を開創した。
 円仁系の良源に対し円珍系の余慶(よけい)は学徳良源と並び称せられ、門下にも人物が輩出した。989年(永祚1)余慶が天台座主となると、円仁系僧徒が拒否して紛争となり、円珍系僧徒3000余人は叡山を追われ三井寺に移る。以後これを寺門と称し、叡山の山門と分裂した。余慶は座主職を3か月で辞し、1047年(永承2)三井寺長吏(ちょうり)の明尊(みょうそん)も座主在任わずか3日で、行尊も6日であった。この両門の抗争は後世まで続き、白河(しらかわ)天皇に信任された頼豪(らいごう)も戒壇建立を請したが、山門徒の反対で憤死した。
 しかし両門の教学は伸長し、源信はその著を入宋者に託して天台山に送り、弟子寂昭(寂照)(じゃくしょう)が入宋のとき「疑問二十七条」を託し、また日延、日円、成尋(じょうじん)など入宋僧の学は彼土に響いた。また恵心・檀那両流は8流となり、川・谷両流の密教は13流に分流した。各教義の心要を師から弟子に直伝(じきでん)する口伝法門(くでんほうもん)は鎌倉仏教成立の遠因にもなり、口伝によって独自に意義づけた教義は観心主義の教学や、人間は本来悟っているという本覚思想(ほんがくしそう)となり、記録故事に秘義を認める記家成仏や、声明(しょうみょう)による成仏などが唱えられた。このような風潮のなかに証真(しょうしん)、静算(じょうざん)、道邃(どうずい)など優れた学匠が輩出した。宝地房証真は叡山に籠り『法華三大部私記』その他の厳密博学の業績を残し、1204年(元久1)慈鎮(じちん)座主に勧めて九旬の安居(あんご)を開き興学に努めた。[塩入良道]
天台仏教の展開
良源の『九品往生義(くほんおうじょうぎ)』や源信により教義づけられ、空也(くうや)や良忍(りょうにん)によって普及した天台の弥陀(みだ)信仰は、法華信仰と念仏往生とを調和した叡山浄土教となった。良忍に師事した叡空(えいくう)の門には法然(ほうねん)(源空)が出で、鎌倉浄土教を支えた証空、弁長、聖覚(しょうがく)(1167―1235)、幸西(こうさい)(1163―1247)、長西(ちょうさい)(1184―1266)、親鸞(しんらん)、一遍(いっぺん)らは、いずれも叡山浄土教を受けており、栄西(えいさい)、道元、日蓮(にちれん)らはみな叡山で学んで鎌倉仏教を開いたが、15世紀の真盛(しんぜい)は宗内にとどまり天台円戒と称名念仏を双称し日課念仏の伝統を築いた。また最澄が叡山の守護神を山王(さんのう)とよび、神を仏の垂迹(すいじゃく)とする信仰は山王一実神道(いちじつしんとう)(山王神道)となり、真言宗の両部神道(真言神道)とともに長く民間に普及した。天台寺院は平安末から京都のほかに日光山、善光寺、多武峰、書写山、九州国東(くにさき)、平泉などで栄え、一方、田舎天台(いなかてんだい)と称されながら関東天台も発展した。
 織田信長の焼討ち(1571)により全山壊滅した比叡山は、天海(てんかい)によって再建された。徳川家に尊崇された天海は、東山寛永寺を創建し法親王を迎えて輪王寺門跡(りんのうじもんぜき)となし、管領宮(かんりょうのみや)門跡は天台座主を兼ね仏教を総統した。また天海は幕府の寺檀制度(じだんせいど)の発案者ともいわれ、山王神道を民間に浸透させ、滅後慈眼大師として元三大師良源とともに両大師として信仰された。江戸時代には諸宗ともに教学が振興したが、四明知礼教学と四分律を鼓吹する安楽律院の妙立(慈山)や霊空(れいくう)とこれに反対する真流(1711―?)や敬光(1740―1795)らと論争して安楽騒動が起こった。明治維新で管領宮が廃され、寺院は神社と分離されて衰退し、第二次世界大戦後諸派や大寺が独立して一宗を称するに至った。[塩入良道]
現状
天台系宗派は現在、天台宗、天台寺門宗(園城寺)、天台真盛宗(しんせいしゅう)(西教寺(さいきょうじ))、本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)(聖護院(しょうごいん))、和宗(四天王寺)、聖観音宗(しょうかんのんしゅう)(浅草寺(せんそうじ))、鞍馬弘教(くらまこうきょう)(鞍馬寺)、修験道(五流尊滝院(ごりゅうそんりゅういん))、金峯山修験本宗(きんぷせんしゅげんほんしゅう)など20余がある。教育機関として、大正大学(浄土宗および真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)、智山派との合同経営)、叡山学院、比叡山行院などがある。天台系全体(文部科学大臣所轄)で、神社数6、寺院数4539、教会数250、布教所数174、その他7、教師数1万5956、信者数302万4329(『宗教年鑑』平成26年版)。[塩入良道]
『硲慈弘著『天台宗史概説』(1969・大蔵出版) ▽佐々木憲徳著『天台教学』(1978・百華苑) ▽島地大等著『天台教学史』(1965・隆文館) ▽福田堯穎著『天台学概論』(1954・文一総合出版) ▽塩入良道編『日本仏教基礎講座2 天台宗』(1979・雄山閣出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の天台宗の言及

【安然】より

…平安前期の天台宗の僧。天台密教(台密)の大成者。…

【一念三千】より

…人間の日常の一瞬一瞬のかすかな心の動きに,三千の数で現された宇宙のいっさいのすがたが完全にそなわっているということ。天台宗の基本的な教説の一つ。智顗(ちぎ)の《摩訶止観(まかしかん)》五ノ上に〈此の三千は一念の心に在り,若(も)し心無くば已(や)みなん,介爾(けに)も心あらば即ち三千を具す〉とあるにもとづく。…

【延暦寺】より

…滋賀県大津市にある天台宗の総本山。山号は比叡山。…

【最澄】より

…平安初期の僧。日本天台宗の開祖。俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。…

【山王信仰】より

…この日吉大社は山王権現とも称された。大山咋(おおやまくい)神を主祭神とする古い山岳信仰にその源流を発し,平安時代の初め,延暦年間(782‐806)に天台宗の開祖,伝教大師最澄が延暦寺を建立したとき,山麓にあった日吉の神を,延暦寺一山の鎮守神,天台宗の護法神と定めた。これは中国天台山にまつられている山王祠の例にならってまつったもので,山王は霊山を守護する神霊のことをいう。…

【山王神道】より

…元来日吉(比叡)の大神は大山咋(おおやまくい)神が比叡山に鎮祀されたものであるが,延暦年中(782‐806)僧最澄がこの地に延暦寺を創建するに及び別に大三輪神を山上にまつり大比叡神と称し,大山咋神は山下に移された。しかし大山咋神は元来比叡山の地主神(じぬしがみ)であったので天台宗徒は宗派の守護神と仰ぎ,唐の天台山の守神たる地主山王に擬し,この神を山王と称し天台神道の主神とした。 山王神道の中心思想は山王の2字を天台宗の三諦円融観をもって説明するもので,三諦とは仮諦・空諦・中諦を指す。…

【仏教】より

… 教相判釈の典型は,隋の天台智顗(ちぎ)が集大成する五時八教論である。それは,この国はじめての一つの宗派,天台宗の開創をも意味する。天台の五時八教論は,先にいうクマーラジーバが訳する《妙法蓮華経》を真実とし,他のすべての仏典を,その方便として体系づける。…

【法華宗】より

…注釈も多く行われ,とりわけ法雲の《法華経義記》はその最高とされる。この経を根本としたのが天台宗で,天台大師智顗(ちぎ)により一宗となり,独特の経の位置づけをした。智顗の三大部(《法華玄義》《法華文句》《摩訶止観(まかしかん)》)はその体系を示している。…

※「天台宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

天台宗の関連キーワード顕本法華宗勝劣派本妙法華宗本門法華宗本成寺派全日本仏教会憐昭天台法華宗《天台法華宗年分学生式》《天台法華宗年分度者回小向大式》

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone

天台宗の関連情報