日本大百科全書(ニッポニカ) 「芥田文書」の意味・わかりやすい解説
芥田文書
あくたもんじょ
播磨(はりま)国野里(のさと)(兵庫県姫路市)に居住し、播磨国鋳物師(いもじ)の棟梁(とうりょう)となった芥田氏の家伝の文書(姫路市野里寺町、芥田晴夫所蔵文書)。15世紀中葉、当所に定住したとも伝え、戦国・江戸時代の鋳物師関係文書を主とし、安土(あづち)桃山時代の木下家定(いえさだ)の代官所関係、江戸時代の野里村関係の文書を含む。芥田氏が周辺市場の鋳物専売権を集積した売券類、その領主による安堵(あんど)状、芥田氏が播磨鋳物師167人を率いて上京し、脇(わき)棟梁として活躍し、その地位を決定した方広(ほうこう)寺大仏殿鐘鋳関係の文書、江戸時代を通じて、播磨一国中の梵鐘(ぼんしょう)の独占、野里同職中からの口銭銀、国中過半の鋳物売場の独占など、鋳物師棟梁の特権の形成過程を示す文書などがある。
[脇田晴子]