日本歴史地名大系 「板谷桂舟拝領町屋敷」の解説 板谷桂舟拝領町屋敷いたやけいしゆうはいりようまちやしき 東京都:千代田区旧神田区地区板谷桂舟拝領町屋敷[現在地名]千代田区鍛冶町(かじちよう)一丁目数原通玄(すはらつうげん)拝領町屋敷の北に位置し、竜閑(りゆうかん)橋から北に向かう道筋の東側に沿う。西は鎌倉(かまくら)町、東は宝生金五郎(ほうしようきんごろう)拝借地、北は磯田七郎兵衛(いそだしちろべえ)拝借地。江戸時代前期以来の町地であったが、享保年間(一七一六―三六)に火除明地とされており、文政一二年(一八二九)の絵図では後藤縫殿助(ごとうぬいのすけ)拝借地が、嘉永五、六年(一八五二、五三)頃の平野屋版切絵図では同氏拝借地の位置に板谷桂舟の拝領地がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by