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絵師 えし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

絵師
えし

一般に画家を意味し,特に日本の古代,中世における一定の技術者集団,作画機構に所属する職業的画人をいう。画師ともいう。中国や朝鮮からの渡来人が絵画の技術を伝え,その子孫らに技術を伝承していったことに始まる。8世紀になると画工司という律令的な機構が組織され(→律令制),国家的な規模の造寺造仏に伴う仏画制作,仏像,建築の彩色などに集団で従事するようになった。平安時代初期には宮廷内に絵所が設けられ,中心的な絵師は多くの雑工を使って宮廷や貴族の需要に応じ,障屏画絵巻などの装飾的,鑑賞的絵画の制作をはじめ,工芸デザイン,建築彩色など幅広い活動を行なった。

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百科事典マイペディアの解説

絵師【えし】

古くは画師とも書き,黄書(きぶみ)画師,山背(やましろ)画師など渡来人画技をもつ氏族に与えられた称号。奈良時代では画工司(えだくみのつかさ),平安時代では絵所(えどころ)にそれぞれ採用された画家を呼んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

絵師
えし

画師とも書く。現在用いられている「画家」と同意語であるが、もとは宮廷の絵事をつかさどる技術者の職名であった。『日本書紀』推古(すいこ)天皇12年(604)9月条に寺院や仏像を荘厳(しょうごん)するため、黄文(きぶみ)画師、山背(やましろ)画師、簀秦(すはだ)画師、河内(かわち)画師、楢(なら)画師などを定め、その戸課を免じたとあるのが初見である。これによると、画師は寺や仏像を装飾するため文様をかくのが主であったらしい。奈良時代になると、中務(なかつかさ)省に画工司(えだくみのつかさ)があり、そこに画師4人が置かれている。平安時代になると、内匠(たくみ)寮に縮小して画工司が移されて宮廷画所(えどころ)となり、その画所の預(あずかり)が画師または絵師と称されるようになった。鎌倉時代以降は、職名とは関係なく、絵を専門とする者を画師または絵師と呼び習わすようになった。江戸時代になると、幕府の職名として復活し、御用絵師のなかで、狩野(かのう)の中橋(なかはし)、木挽町(こびきちょう)、鍛冶橋(かじばし)、浜町の四家を奥絵師とよんだ。[永井信一]

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