後藤縫殿助(読み)ごとうぬいどのすけ

精選版 日本国語大辞典 「後藤縫殿助」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ぬいどのすけ【後藤縫殿助】

  1. 江戸幕府呉服師。呉服後藤と呼ばれた。
  2. [ 一 ] 初代。名は松林徳川家康に三河時代から仕える。生没年未詳。
  3. [ 二 ] 二代。名は忠正通称、源左衛門。江戸日本橋屋敷を受けて移住呉服町呉服橋の名は、ここに由来する。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「後藤縫殿助」の解説

後藤縫殿助(4代)

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:天正15(1587)
江戸前期の門閥特権的な呉服商人。幕府御用達の後藤家は金座後藤と呉服後藤の両家があり,後者の初代は三河以来,徳川家康御用商人だった。父忠正は島津一族から初代のときに養子に入り,軍功もあげた。その3男は本名を益勝といい,12歳より家康につかえ,のち3代将軍徳川家光の側近となった。3代目の兄忠直が慶長8(1603)年病没したあと,武家としての家督は弟の吉勝が継いだ。このとき御用達業務は4代目として益勝が継いだものらしい。寛永4(1627)年家光より縫殿助の名称を受け,以降代々幕府筆頭呉服師として同名を継承していく。呉服類の調達だけではなく,将軍身辺の諸事御用も勤め,私的にも親密な関係にあった。

(岩橋勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤縫殿助」の解説

後藤縫殿助 ごとう-ぬいのすけ

?-? 江戸時代前期の商人。
祖父松林は徳川家康の呉服御用達(ごようたし)をつとめ,父忠正,兄忠直,弟吉勝は武家として家康,秀忠,家光につかえる。祖父の業務をついで幕府呉服師となり,寛永4年(1627)家光より縫殿助の称をあたえられる。以後代々筆頭呉服師としてこの称は継承された。名は益勝。

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世界大百科事典(旧版)内の後藤縫殿助の言及

【呉服師】より

…将軍の側近にあって身辺の御用を務めていた関係から,私的にきわめて親近な関係にあり,利権にありつくことも多かった。1603年(慶長8)の幕府の成立時には,後藤縫殿助,茶屋四郎次郎,亀屋栄任らが徳川家康の側近として重宝がられていたが,慶長末より元和年間にかけて尾州茶屋新四郎,上柳,三島屋の3軒が追加され,呉服師6軒仲間が成立した。その中心は後藤,茶屋で,各200石の禄高と役宅が与えられていた。…

※「後藤縫殿助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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