朝日日本歴史人物事典 「桜井ちか子」の解説
桜井ちか子
生年:安政2.4.4(1855.5.19)
明治大正期の教育者。江戸幕府御用達商人平野与重郎の長女として江戸日本橋に生まれる。18歳で海軍士官桜井昭悳(のちにキリスト教伝道師)と結婚したのち,神田の芳学社で英語を学ぶ。22歳のとき新栄教会で受洗。明治9(1876)年設立の桜井女学校(女子学院)は幼稚園から高等女学校までの一貫教育が特色。夫の赴任に伴い移った先々の函館師範学校,札幌師範学校で教え,一致英和女学校(大阪女学院)設立に協力するなど活躍。26年から30年にかけて2度渡米,3年間の米国滞在後,東京本郷に桜井女塾を創立,長年の教育者としての経験や米国での教育視察体験を生かし,キリスト教主義的良妻賢母教育を目標に全寮制教育を行った。<参考文献>大浜徹也『女子学院の歴史』,平塚益徳編『人物を中心とした女子教育史』
(亀田春枝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報